2度の火災、この落差

会議は全く進まない。口を開けば、自分に責任が及ぶのではないか。そんな淀んだ空気に、誰もが息苦しさを感じている。「火災の跡の整地費用も、それぞれの負担ですか」。これから商店街再生を話し合うのに、この程度の自己負担さえ避けたいとする意見が出てくる。それ程に苦しいのか、それとも薄汚い打算なのか。誰もが暗然とし、先行きの大きな困難にたじろぐ思いだった。
 これは想像である。6月3日、富山市総曲輪商店街の一角が火災に見舞われた。富山県一の商店街であり、その再生は一刻も早くとの思いがある。早速と、被災商店主に加えて、行政(富山市)、コンサルタントが参加した初めての会議が開かれた。質問は、再開発であれば旧店舗の取り壊し費用は再開発補助金から支出されるが、今回は火災が原因でその後の再開発となるため自己負担になる、との説明の受けてのものである。そんな内輪話を聞いて、多分そんな空気であろうと思った。
 昭和47年に同じ総曲輪商店街の東の一角で、24戸が焼失した。36年前である。蕎麦屋、履物屋、紳士服などの地権者である商店主達はその時、これはチャンスになるかもしれないと思った。いやチャンスにしてしまおう、と燃えた。仮店舗で取り敢えずの再スタートだが、疲れを感じず、連日の会議は大きな夢を語り合うものとなった。その結果が、西武百貨店の誘致に道筋をつけ、4年後、市内で2番目となる百貨店・富山西武が開店した。テナントしての入居を決意、品揃え、展示、接客などで様々に工夫をして、百貨店に溶け込むように考えた。そして、店自身の売り上げも順調に伸び、地代収入が建物投資を償却し、財布が二つになった。大成功と喜んだ。それも束の間、如何せん、次なる展望を持っていなかった。バブルも重なり、商店主達は不動産、株投資に走り、大きな痛手を負うことになる。西武も然り。ことし3月末日、富山西武が撤退した。
 さてどうするのか。そして誰が。新テナントとして、イオン、丸井と挙げられるが、誰もリスクを背負って迫力ある交渉しているわけではない。県、市、商工会議所に任せてあるようにいう地権者もいる。廃虚となったビルの中を、のぞいて見るがいい。トイレひとつをとっても、昔のものである。改装費用を考えると、新たに新築した方がいいと思えてくる。しかし、今後30年も耐えるようなものなんて、この人口減少の時代にとても無理だ、となる。加えて、後継者がいない。15年も続くデフレ不況で、淘汰が進み、残った店も夫婦だけでようやく凌いでいる状況だ。ほとんどが自分の世代で終わりと考えている。中心市街地活性化法なども絵に描いた餅に過ぎない。鉦や太鼓で囃し立てても、担い手がいないのだ。
 会議の続きを想像してみよう。2回目だ。コンサルが仮称・総曲輪東南街区再開発構想の青写真を配る。1~2階が専門店、飲食店となっており、3階以上がマンションで、7階建てだ。店舗部門には低利の高度化資金融資が、マンション部分には街なか居住促進ファンドから建築費の3割が出資されます。ほとんど自己資金が不要です。また前回質問の整地費用も再開発構想が決定された段階で、補助対象となるように拡大解釈します。コンサルは得意そうに話を続ける。それを遮るかのように、ある店主がいう。「自分はいい機会だから、店は廃業します。仮店舗も必要ありません。それでも地代だけが毎月はいってくるのですよね」。行政とコンサルで進めてくれ、制度融資の借り入れも返済が出来るように、万一の場合でもこちらに責任がこないように信用保証協会を介在させてうまくやってくれ、そんな言い分である。
 はてさて、街なか崩壊となる最悪のシナリオだが、この方が現実を直視している。これでも誰も困らないのだ。コンパクトシティ構想も行政の効率化だけを目的にしているようだと頓挫してしまうだろう。地元の大学教授が「この商店街全部をイオンに任せるくらいでないと、だめですね」とつぶやいていた。
 もちろん、昔日の賑わいを取り戻してほしいと、逆の結果を期待していることはいうまでもない。

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