価格転嫁で最低評価の不二越

 「価格転嫁の交渉状況で最低評価の不二越」。2月8日付けの新聞見出し。経産省が15万の中小企業を対象にアンケート調査をした結果だ。価格転嫁の「交渉状況」は、話し合いに応じた場合は10点、協議に応じなかったらマイナス7点、協議の余地なく一方的に取引価格を引き下げた場合はマイナス10点と点数化。下請け振興法に基づき後ろ向き企業名を実名で公表した。原材料、エネルギー価格の高騰に、更に賃上げが迫られる下請け企業に情け無用と立ち塞がったということ。不二越は5年前に本社を東京に移したが、生産拠点は富山にある総合機械メーカー。地元企業ながら、さもありなんと思わざるを得ない。

 東京本社移転の記者会見で、本間会長は「富山で生まれ育った人は極力採らない」「閉鎖された考え方が非常に強い」と発言して物議を醸したが、それから5年。いまだ変わらず下請け企業の前にふんぞり返っている不二越が明らかになった。そして、社長はころころ変わるが、本間会長は変わらず実力会長として居座っている。

 ポリゴンミラーなる用語を初めて聞いたのは1986年、不二越の技術者からだった。富山のテクノポリス構想の中核となる工業技術センターが完成したのを機に、とやまテクノ大賞が創設された。その関連取材であったが妙に印象に残っている。ポリゴンミラーとは複写機などに搭載されている高精度の回転多面鏡で、1分間に数万回という高速で回転し、反射して感光ドラムに転送する。「田舎の一番」という感じだった。その頃君臨していたのが大和田国男社長で、ワンマンぶりは際立っていた。東工大から海軍技術大尉を経て、創業者の誘いもあって入社した。79年に藍綬褒章を受章しているが、社内に受賞ランクを上げるために専任の担当を置いて工作にあたっていた。景況が乱高下するのが機械工業界だが、久方ぶりの高収益でも開発研究投資に回さず、何と迎賓館を作ったのもこの時代である。相談役最高顧問として永らく影響力を手放さなかった。

 更に戦前は軍需生産の先頭に立っていて、43年に女子勤労挺身隊制度ができると、朝鮮から1089名の14~16歳の年端もいかない少女が不二越に動員された。ひもじい食事、夜間もある長時間労働で、労働災害も頻発した。賃金も帰国時一括して払うことになっており、小遣いが支給される程度だった。最大の悲劇は挺身隊即慰安婦と誤解される差別感が韓国でも根深く、挺身隊の事実を口にできないことであった。そんな偏見の中にあって、徴用工の損害賠償訴訟が1992年提訴され、2000年に最高裁で勝利和解に漕ぎつけた。しかしその後の2次訴訟では敗訴となっている。不二越の現在の考え方は、あれは人道的観点から裁判費用をこちらで負担したので、「強制連行も、強制労働も、賃金未払いもない」としている。しかし昨今の国際人権基準はウイグル族の強制労働の関与を巡って、ユニクロが矢面に立たされたように厳しく問われる。

 さて、不二越の企業体質は価格転嫁関連報道で、更に明らかになった。「結果を真摯に受け止めている。今後取引先とのコミュニケーションを一層強化したい」というコメントだが、しらじらしさが透けて見える。この体質を抱えて、成長のカギを握るロボット分野で突き抜けられるのか。ファナック、安川電機の後塵を拝している状況だが、国際的な競争力となると人権を含めた総合力が欠かせない。社外からの登用を含めた経営陣の一新しかないように思える。本社をこの際、中国の深圳などに移す決断くらいあっていい。

 

 

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