国際障害者権利条約

 懐かしい名前を見て、記憶がよみがえり、国連の舞台でも活躍している報に敬意は深まった。石川准・静岡県立大学名誉教授、67歳。富山県魚津市の出身で、15歳の時に網膜剥離で失明したが、1977年全盲の受験生が全国で初めて、魚津高校から東大文学部社会学科に合格した。そのまま大学院に進み、ニューヨーク州立大学に留学もしている。00年に視覚障害者用ソフトの開発で通産大臣表彰を受けたことを知り、地元魚津での講演会を思い付き、01年3月に実現した。ネットでのやり取りだったが、スピーディな対応にびっくりし、東京駅まで出迎えに行ったが、無駄なお節介という感じだった。

  今回眼に入ったのは、月刊「世界」2月号の巻頭での寄稿。「障害者権利委員会 初の総括所見が日本に求めたもの」。障害者権利条約は01年の国連総会で議決された。温情主義や人道主義、優性思想と決別し、すべての障害者は自己決定と自立の権利を有することなどを謳いあげている。一方でこの条約を批准した締約国には、趣旨通り実施されているかどうか、監視する障害者権利委員会を国連内に設けた。権利委員の大多数は障害当事者で、石川教授は17年から4年間この委員を務めた。年に2回ジュネーブで4週間滞在して、批准国の代表と現状についてやり合い、更に改善を求めていく。日本は早期批准を予定していたが、国内の法制度改革を優先し、批准は14年にずれ込んだ。そんな関係で日本の審査は20年8月、ジュネーブで日本から厚労省、法務省などから31人が参加して行われた。石川教授は日本に国内人権機関がないので、日本の現状を審査する立場での参加となった。

 結果はどうか。権利委員が繰り出す質問に、日本代表団がタジタジで、そもそも障害者権利条約の理解がなっていない。日本の主張は優しさ、親切、気遣いが大切だとする情緒的な傾向が強く、それが人道的であっても人権条約を基礎付ける人権思想と大きく異なり、権利委員会と日本代表団の対話がかみ合わないものとなった。例えば、精神障害者の非自発的入院や身体的拘束の課題への質問に対して、報告を繰り返すばかりで、改革を進めていくという発言にはならない。言質を取られたくないという卑屈な守り姿勢だ。31人の官僚代表団はトップにいただく大臣の顔色を思い浮かべ、人事権にしばられる。安倍・菅政権の人事権掌握が官僚の主体的な思考を奪い去ってしまった現状が見て取れる。これでは国際的な人権水準に届かない。

 日本に出された総括所見は、障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利、パリ原則を完全に満たす国内人権機関の設立など5点にも及ぶ。2028年の審査まで改善を図らねばならない。

 今年、佐渡金山遺跡について世界文化遺産登録を目指しているが、明治日本の産業革命遺産の認定後にユネスコから朝鮮人徴用工について改善を求める決議を出されたが対処できていない。ユネスコの日本の印象は極めて悪い。安倍政権以来続く歴史修正主義及び人権感覚では、国際的にまったく通用しないことが歴然としている。このままでは鎖国日本に逆戻りしかねない。

 思い出すのは石川教授が購入した洋書をばらして、スキャナーで読み込み、それを倍速の音声で聞き込んでいる姿である。晴眼者としてとても恥ずかしく思った。31人の日本代表も彼のひたむきさに倣って、ぜひ取り組んでほしい。歴史と真実を押し曲げようとする政治家に負けてほしくない。 

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