「韓国文学の中心にあるもの」

 4月17日BOOKSなかだで、1万円使うと決めて本を買ったが、そうと決めなければ買えなかったのがこの本である。「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス)。何といっても、著者の斎藤真理子の切れ味が小気味いい。そういえばと思って検索すると、文芸評論の斎藤美奈子の妹と判明、納得がいった。わが反省の弁だが、見逃してきた韓国文学にこそ歴史を洞察する視点があり、歴史の年表に生々しい奥行きを与えてくれる。以前に若い女性から「82年生まれ、キム・ジョン」を渡されたが、読む気になれなかった。わが感性に深く沈殿している家父長主義が「おんな・こども」の小説に何がわかるか、彼の国をなぞっているだけだろうと蔑んでいた。斎藤真理子を読んで、フェミニズムこそ日韓の垣根を振り払うキーワードだと断言できる。

 朝鮮戦争は韓国文学の背骨である。1950年6月25日に始まり、いまだに休戦状態で和平とはいえない。その戦争被害の凄惨さは想像を絶する。戦後無傷で解放を迎えた朝鮮半島で、その死者数は300万人とも400万人ともいわれ、正確な統計は不明。その他に中国義勇軍で100万人、米軍で5万人が加わる。第2次大戦での日本の死者は310万人だが、当時の朝鮮半島の人口3000万人であったことを考えると途方もなく、離散家族は1000万人、戦争孤児は10万人という。冷戦イデオロギー戦争の実態だが、例えばソウルでは一夜にして天下がひっくり返り、北の国旗とスターリンの肖像画が掲げられ、義勇軍の募集、人民委員会の選挙、土地改革、そして人民裁判が行われ、反革命の名のもとに人々は即座に処刑された。その戦線が南北に反復したのだから堪らない。南の人々と北の人々は気も狂わんばかりの憎悪にとりつかれ、お互いに数百、数千もの人を虐殺した。誰が敵で、誰が味方か、わからない中で、子ども・女性・老人までもが敵とみなされ集団的に殺された。同時に密告と密告返しの連続の中で、私的な報復としての殺人も起きて、地域コミュニティはずたずたに引き裂かれた。こうした分断は女たちに次なる戦争への警戒と、すきさえあれば人にものを食べさせようとする情愛を染み込ませていった。

 ちょっと結論を急ぐ。こうした記憶が韓国文学の根っこにあるのだが、更にその下に家父長制、資本主義、そして最後に徴兵制がある。「兵役が嫌なら、男性たち自身で兵役拒否運動をすればいい」。軍隊にいかない女はずるいと考える男性からの異論を封ずる宣言だ。韓国文学はこの境地に達しそうになっている。「82年生まれ、キム・ジョン」以来、フェミニズム小説が堰を切ったように出てきている。

 キャンドル革命のデモの中で、「悪女OUT」のプラカードを持つ男性に強烈な違和感を覚える一説も象徴的だ。悪女とは朴槿恵だが、正義の集団の中での少数者の声を文学は掬いあげている。また、植民地支配の中で、男たちは去勢されていたという表現も突き刺さってきた。去勢された男のはけ口が女たちに回ってきていたのだ。朝鮮戦争に無関心であった戦後日本文学の底の浅さでもある。

 老人はこの本の中で、希望を見つけた。日韓ともに女性大統領と女性首相が出現した時に初めて、歴史に堪える友好関係が築かれる。金辰明が書いたという「皇太子妃拉致事件」の翻訳本も読んでみたい。

 

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