危機に瀕する防衛大学校

 砂上の楼閣とはこのこと。現代の安全保障はたんに兵器と人間の頭数が多ければよいというものではありません。刻々と変化する安全保障環境と技術革新に柔軟に対応できる、想像力と論理的思考力を持つ幹部自衛官がいなければ、自衛隊を十全に機能させることは不可能です。防衛大学校現職の等松春夫教授は「危機に瀕する防衛大学校の教育」なる論考でこう明言する。職を賭した問題提起でもある。

 高校同期で防衛大に進んだのはひとり。一度立ち話程度だが、自衛隊はどうだったと聞いた。うーんと苦笑いを返すだけだった。学校教育法からすれば大学ではない。入試ではなく採用試験、学費は徴収されず、学生手当が支給される。横須賀市にあって、全寮制だ。防衛大の現状はどうなのか。

 受験者の激減、中途退校者と卒業時の任官辞退者の増加、パワハラ、セクハラ、賭博、いじめやストレスからの自傷行為、パワハラをめぐる数々の訴訟等々、これでもかと続く。ウクライナ戦争の勃発や台湾有事など国際情勢の悪化が防大生を不安にさせ、多くの退校者や任官辞退者を生んでいるのは事実だが、任官しない学生たちの多くは断じて「打たれ弱い」から辞めるのでない。むしろ、優秀で使命感の強い学生ほど防大の教育の現状に失望して辞めていく。

 最大の弱点は、教官と指導官の資質と適性にある。市ヶ谷(防衛省)の官僚たちは、研究教育機関としての防大の独自性を理解せず、官僚機構の一部と考え、「病人・けが人・咎人」と揶揄され、持て余される人々を「手軽な再雇用・左遷先」として防大に送っている。定年が早い幹部自衛官も然り。世界に伍していく「士官学校」という意識は全くない。

 最も恐れるのは「商業右翼」の浸透だ。自衛官を無条件で賛美し、さらに自衛隊を、日本神話や大日本帝国陸海軍の栄光と結びつける。時代錯誤以外の何物でもないのだが、もっともらしく聞こえる商業右翼の虚構が見抜けない。人文・社会科学系の学問に触れる機会が少ないこともあるのだろう。航空幕僚長であった田母神俊雄がその典型で「日中戦争は侵略戦争ではない」など論外な主張がまかり通っていく。上級者には逆らえないメンタリティも然り。何となく戦前の陸海軍の悪弊を引き継ぐ組織風土はぬぐい切れない。

 しかし、希望も見つけることができる。ストウシンガー・サンディエゴ大学特任教授の「なぜ国々は戦争をするのか」を翻訳出版した7人の現役幹部自衛官がいる。第1次大戦からイラク戦争までを論じている。槇智雄・初代学長は学生たちに「自衛官である前に紳士であれ」と語りかけていたが、民主主義の諸価値を尊重できない自衛隊は国民を守れない。政治家や民間有識者と「幅広い教養の共有」は防衛大にとって不可欠である。数は少ないが、こうした自衛官を活用してこそ、シビリアンコントロールが可能になる。

 さて、砂上の楼閣の上に、既成事実が積みあがっていく安全保障政策。その最悪は、沖縄普天間基地の辺野古への移設だろう。軟弱地盤に76,000本の杭を打ち込むのだという。寺島実郎は「2045年、つまり敗戦から100年経るも米軍基地は存在しているのか」、戦勝国の軍隊が100年も駐留している事態は世界史においても前例がなく、日本はもはや「独立国」ではないと断じる。自発的隷従という屈辱は、防衛大の組織風土に通じていく。

 追記 別に防衛医科大学校がある。危機どころか、密かに知るぞ知る医学校だ。

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