「モモと時間泥棒」

 11月17~18日、大学のクラス会と孫娘の学芸会といううれしいセットでの東京行きとなった。浮かれ過ぎという気もするが、得難く、ありがたい終活である。78歳のクラス会は、肺気腫にめげず酸素ボンベを引きながらの参加者もあり、また老老介護で急遽の欠席連絡など年齢にふさわしいものとなった。高度成長の恩恵享受の逃げ切り世代という表現がぴったり。もう少し反骨で、心意気が感じられる生き方ができないものかと思うが、そのまま自分に切り返されることでもあり、口にできない。

 さて、どんな日程にするかも楽しみのひとつ。定宿のホテルは何と倍額に高騰している。腹立たしい思いで1万以下を必死に検索し、大浴場と朝食を売り物にしているドーミーイン春日の湯とした。しかもカプセルルーム。宿泊費9000円+朝食1800円。何とか納得した。朝食が心豊かに満たされたら、その一日は充実したものになる可能性は高い。「朝のパン一枚は夜のステーキに匹敵する」と口癖のように言っていた中学教師を思い出す。また、酒場放浪記ではないが、カプセルベッドにもぐり込むだけでは侘しいとふらり外に出ると、居酒屋「しなの」が目に入った。若者5人ぐらいがわいわいやっていたが、これもよかった。バングラディシュの派遣手当が月30万円という声を聞きながら、絶品の里芋鉄板焼600円を肴に、ひとり異郷で呑む解放感が何とも心地よい。〆て3450円。

 翌日だが午前6時30分、食堂に一番乗りして「味めぐり小鉢横丁」なる朝食をご飯お代わりで平らげて、小田急千歳船橋駅から徒歩5分の世田谷区立笹原小学校に急いだ。学芸会の看板がかかる校門に、うれしそうな父兄が足早に入っていく。5年生の演しものは「モモと時間泥棒」。これを聞いて、すぐにミヒャエル・エンデ原作の「モモ」(岩波少年文庫)を買いに走った。爺バカの極みだが、哲学的に深い作品で、果たして小学生がどう演じるのか興味が湧いた。原作者のミヒャエル・エンデの名前だけは知っていたが、時間という抽象的な概念をこれほどわかり易く伝えられる作家の力量に感嘆するほかない。

 廃墟となった円形劇場にひとり住む少女モモ。聞き上手という不思議な魅力で大人から子供までみんな集まってくる。食べ物も持ってくるので、モモはそこで何とか暮らしを保っている。そこに時間貯蓄銀行の外交員がやってきて、効率よく仕事をし、また睡眠時間など削って、わが銀行に時間を預ければ、利子の時間を付けて返すと勧誘する。みんな「ゆとり」と「自由」をなくし、円形劇場によりつかなくなる。子どもも親の監視の下で学校などに縛り付けられる。ある日モモは、そんな時間の管理をする時間の国の主であるマイスター・ホラと出会う。時間の金庫をこじ開ける方法を知らされ、勇気を持って立ち向かうことになる。そして、みんなに時間を返すことに成功する。演じる子供たちは、モモ、モモと叫んで応援するのだが、見学の父兄もいつしかモモ頑張れと応援し、拍手をおくる。学芸会らしい一体感である。

 終わった後、こんな話をした。楽しい時間はあっという間に過ぎるけど、嫌な時間はずーっと尾を引くね。時間を貯蓄する人は、ゆとりや自由を捨てて、ただあくせくしているだけかもしれない。勇気を出して、怖がらないで、時間を取り戻した方がいいね。

 帰途、やはり新宿の紀伊国屋で2時間過ごすことにした。書籍購入客は少なく、苦戦の様子は陳列棚の工夫でよくわかる。昔は送料無料と1万5千円まで買おうと楽しんでいたが、今はメモ帳とペンを手に、読みたい本を書き出し、図書館で借りだす卑怯な方法になってしまった。紀伊国屋書店及び店員の方に、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 とはいえ、至福の1泊2日の旅であった。

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