「最期は桐島聡で死にたい」

 「桐島聡を生きること」と「内田洋を生きること」は、どう違ったのだろうか。そんな疑問がすぐに浮かんだ。桐島聡を生きていれば、懲役囚として長い刑務所暮らしを強いられ、罪と向き合わなければならない。しかし時間と精神的な自由がある。どんな本も読めるし、書ける。同じ東アジア反日武装戦線・狼(おおかみ)派の大道寺将司・死刑囚を思い起こす。ほぼ42年の刑務所生活であったが、激しい獄中闘争・法廷闘争を展開し、日航機ハイジャックで超法規的措置での釈放出国も、唯一拒否した。獄中で詠んだ俳句は「棺一基 大道寺将司全句集」。辺見庸が「最後は言葉にしか救われない」として句作を促し、極限の心情が綴られ,、多くの読者を揺り動かした。68歳での癌による獄中死であったが、独房での精神的な自由がそうさせたとすれば有益な時間であったのではないか。

 一方の内田洋に成り済まし生きた49年間の逃亡生活はどうか。藤沢市の土木会社に住み込んでの40年が主だが、行きつけの飲み屋や銭湯通いで「うっちー」と呼ばれる気のいいおっさんを演じ続けた。必要最低限の挨拶をし、規則正しい日常生活をしているようにみせろ、とするゲリラ兵士読本「腹腹時計」の通りである。いわば虚の時間を空費しただけだったのではないか。最期は桐島聡で死にたいとは、演じる虚しさに耐え切れなくなったに過ぎない。20歳そこそこでの政治的な洗礼だけでは、人生は深まらない。

 そう簡単に断じるわけにはいかないが、自分が自分であることを、どんなことで証明されるのだろうか。自分を生きているのか?重い問いだが、発し続けねばならない。

 時を同じくして、「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」の試写会の案内が届いた。「重い」映画ですが、是非 ご覧下さい。1972年11月8日、早稲田大学文学部キャンパスで、同大文学部の川口大三郎が殺された。これを機に革マル派と中核派に社青同解放派を巻き込んでの凄惨な内ゲバがエスカレートしていき、結果として100人を超える犠牲者を出した。映画はこの検証を試みるドキュメンタリー。監督は「三里塚に生きる」など手がけた代島治彦、演出は鴻上尚史で、いわゆる党派闘争の不条理と真相に切り込んでいくと銘打っている。

 あの時代から50年。その傷を未だに抱え込んでいる当事者もいる。もちろん巻き添えになった無辜の市民も多い。それなりの総括をしておかねばならない。

 案内の末尾に、同じ東アジア反日武装戦線に属し、その後日本赤軍に合流し、17年の刑期を終えた浴田由紀子の消息が記されていた。パレスチナ支援連帯集会に参加しているという。重信房子もそうだが、女性活動家のしぶとさが際立つ。そして、浴田由紀子と内縁の関係にあった同派の活動家・斎藤和は1975年5月19日二人が住むアパートに警察が乗り込み、拘束されると斎藤は持っていた青酸カリを飲み込み自死した。凄絶な最期といえる。書き添えておきたい。

「棺一基四顧茫々と霞みけり」(大道寺将司)

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