無知の涙

少年の凶悪犯罪と死刑について、論議の風向きがおかしい。加害者の人権よりも被害者の人権こそ尊重すべきだという論である。桶川ストーカー事件から、世論の後押しもあり少年にも極刑論が大きな流れとなり、今回の山口県光市で起きた母子殺害事件もその論を加速させた。東京地検特捜部の検事は「法律をどのレベルで適用するかは、世論が決めることだ」といい切っている。最高裁でも公正な法律解釈よりも、世論がどう反応するのかを判断材料にしているのだろうか。
 このところ悪名高い安田好弘弁護士が、雑誌「世界」でこんな正論を吐いている。要約すると、犯罪はすべて個人の問題に帰すべきではない。この社会には不条理なことが多く、軋轢、格差、差別に事欠かず、そこから犯罪が起きている。したがって被害者の苦難は社会が共通して負担すべきで、福祉の問題といえる。万一、司法が被害者の意思にかなうものになると、そこは被害者に支配される復讐の場になってしまう。極論すれば、司法の場では、被害者の人権は実現されるべきではない。むしろ弁護士は悪魔と罵られる加害者の弁護人に徹しきり、検察は正義の弁護人に徹しきってこそ、はじめて司法が正常に機能する、といっていい。安田はそんな思いから、麻原彰晃の弁護人も引き受けているのである。
 わが世代はこの事件から始めるしかない。書棚から「無知の涙」を取り出してきた。昭和43年に、わずか1ヵ月足らずで4件の連続射殺事件を起こした永山則夫の獄中ノートだ。副題が「金の卵たる中卒者諸君に捧ぐ」。表紙にはノートに記された漢字の書き方練習がそのまま使われ、文字を覚え込もうとする執念が伝わってくる。犯行は19歳の時である。昭和24年網走市呼人(よびと)番外地で、第7子、4男として永山は生まれた。両親に見捨てられ、3女、2男、3男と5歳の永山の4人が家に取り残され、寒さに加え飢え寸前の生活を過ごした。昭和40年集団就職で渋谷の西村フルーツパーラーに勤める。しかし、反抗的な態度から何もいわずに店を出てしまい、その後7回転職を繰り返す。横浜で沖仲仕をしている時に横須賀米軍キャンプでピストルを盗んだ。東京、京都、函館、名古屋で無差別での強盗殺人である。ガードマンとタクシーの運転手で、恨みがあったわけではない。ただ行きずりの無名の人たちだ。ばれたら、捕まったら、重刑が待っているとの恐怖に駆られて引き金を引いている。大捜査網を、なぜか潜り抜け、捕まったのが翌年4月。
 東京拘置所では、逮捕されてすぐに自殺を図ったこともあり、保護房にはいった。それからである。ドストエフスキー、マルクスの資本論全8巻、カント、フロイトなどを読み漁った。どうせ死刑だという思いがそうさせたのか、偏屈な知的好奇心がどっとあふれ出し、支給された大学ノート10冊にその断片を書き綴った。時間と金があれば、白痴である自分も、知の水準でここまで到達できるのだとの思いだ。裁判では一貫して、自己弁護ではないと断りながら、貧困が犯罪の原因と主張した。同郷の寺山修司とのやりとりもある。
 裁判は、無期懲役の高裁判決が最高裁で差し戻され、差戻控訴審で死刑、平成2年の最高裁で死刑が確定している。死刑執行されたのが平成9年、享年48歳、獄中28年である。死刑反対運動もピークで、安田好弘弁護士も永山弁護団に加わっている。
 さて、光市母子殺害事件の被害者の夫である本村洋さんがクローズアップされた。マスコミ挙って、死刑判決支持の論調のようにも見える。ここは我慢をしても、悪魔の弁護人の声にも耳を傾けるべきだと思うが、どうだろうか。
 現実とファンタジックな世界で、いわば内面と外面で分裂する多くの若者たち。本人もそれがわからない。他者の前では装う自分が自動的に出るし、他者から刺激がないと、これまた自動的に自分の世界に入る。大人社会の、貧困で、分裂した、薄っぺらな処世術が原因である。奈良の放火殺人もそうだが、次から次へと襲ってくるに違いない。死刑で解決しないのは確かである。重く、哀しい病理だが、社会全体で負っていくしかない。

© 2021 ゆずりは通信