ナラティブホーム

念ずれば通ず、ということだろうか。ケアタウン小平を訪問して以来、気になっていたその人から突然メールが届いた。6月17日のこと。こちらが孫娘の入院騒ぎで身動きが取れなくなっていたので、天の配剤というべきかも知れない。そうであれば天の声に素直に従うしかない。
 砺波サンシャイン病院・佐藤伸彦副院長からである。「はじめまして。佐藤伸彦@ナラティブホーム研究会です。友人からの情報で“ゆずりは通信”を知り、興味深く読ませていただきました。同じような視点での内容が多く、大変勉強になりました」。早速会いましょうということになり、駆けつけた。おいでいただくのは恐縮、という声を制し、「60歳にしてこの身軽さこそわが身上。浪々の身であるものが、多くの生命を預かる人に合わせるのが当然」とかわした。
 29日午後6時の約束だ。久しぶりの砺波である。ニチマ倶楽部で、コーヒー休息も悪くないと1時間前に着く。吹き抜けのロビーがいい。といってもホテル経営は厳しい。思い切って福祉施設へ転換しているところもある。そんなことを思いつつ、事前に送られてきた資料「ナラティブホーム構想~福祉・医療・介護のクリニカルガバナンスを目指して」に目を通す。A4・60枚にわたる熱い労作である。検索すれば誰でも見ることが出来る。それほど難しいことをいっているわけではない。しかし、これを実現していくのは大変である。勘違いしているところもあるが、要約してみる。
 行き場のない高齢者が増えている。認知症であったり、がんや脳障害などでの慢性症状を抱える人たちだ。在宅、施設、病院とたらい回しされたり、もっと悲惨は治療費が払えないと、痛みや辛さをこらえながら、身を潜めている人たちであろう。この4月の医療介護制度改定で、政策的に在宅へと誘導するというから、増えることは間違いない。既に療養型病床から出て行ってほしいと通告されたという声を聞く。家人は戸惑うばかりである。これを何とか解決しようという構想である。大きな政策転換に、小さな石つぶてで抗する試みでもある。施設や病院でもなく自宅でもない第3の在宅医療の提案だ。しかもナラティブという、当事者である高齢者を中心に家族、医師、介護&看護師、時に友人、知人、近所の人も加わった「語り」で、その人の人生そのものの「物語」が紡ぐ生活空間を創り出そうというのだ。医療の必要な人には必要な医療を、社会的な入院が必要な人には生活の場を、在宅の気軽さが欲しい人にはその環境を、病院の安心感が欲しい人には安心を、それを365日24時間提供できるシステムである。果たして、そんなことができるのか。コロンブスの卵ではないが、可能なのだ。ケアタウン小平もそうだが、ナラティブホームも基本的には賃貸アパートである。そこにクリニック(医院)、訪問看護介護センターが併設される。医師はアパートに往診をし、看護師が訪問看護をする。歩いていけるというか、隣室にスリッパで出かけるように、である。これだと、365日24時間、不可能ということはない。アパートの部屋には家族などが自由に出入りできる。それは時に病室であり、介護の施設であり、自分の趣味で模様替えされた個室でもある。そんな構想である。
 国民皆保険の恩恵は確かに大きい。といって、お仕着せの医療、介護をだまって、おしいただくようにしていいのか、ということ。介護保険の地元密着も、注文も、文句もいえない地元下請け、赤字押し付けにしてなるものか、である。もぐら叩きではない。市民の創意あふれる独自の看護、医療システムがあっていい。そんな一石にしてほしい。佐藤副院長との話は弾んだ。
 そんなこんなで身辺あわただしいが、10年近いプール通いの成果を発揮すべきマスターズの50メートル自由形に出場することも加わった。おかげで胸に、腹に痣が絶えない。飛び込みの練習である。これこそ、年寄りの冷や水かもしれないのだが、目標があるとやはり違う。

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