ふるさと新湊の異変

 週2回は新湊・海王丸パークに通っている。88歳の姉が認知症となり、同パークにあるケアハウスに入居しているので、そのサポートのため。体操教室の送迎と昼食を挟んでの会話だが、レストランの選択肢が10カ所ぐらいある。そんな中で、わが故郷の異変ぶりに気が付いた。なかなか面白く、興味深い。

 観光バスの団体客でにぎわうのが同パーク内にある「新湊きときと市場」。50人くらいは座れるフリースペースがあり、新湊の旧町にある土屋鮮魚店で弁当を買って、ここで食べるコースが気に入っている。時間を気にすることなく、解放感がいい。ところが11月6日のかに解禁が始まると、状況は一変した。10台を超える観光バスから降りてきた客が、茹であがったカニをこのスペースで食べるのである。価格は7000円から9000円。その高さにこちらは驚くが、長い列となっている。白い発砲スチロールのふたに乗せて、ひたすら食べている。レストランも3000円台の定食が、昼間3回転はしている満席状況。客のほとんどが県外の後期高齢者で、普段着そのままという感じだ。衣料品店を60年以上やってきた姉は眉を顰め、旅行に出るときはそれなりに身なりを整えるべきで、これでは衣料品店がつぶれてしまうと憤慨している。新湊うまいもん株式会社の運営だががっちり稼いでいるようだ。町全体が限界集落と化している中で、このにぎわいは異変に映る。

 もうひとつが、東洋のベニスと呼ぶ新湊の内川沿いだ。奈呉町と呼ばれる漁師町であり、母の実家があった思い出深いとこでもある。その実家の前に「広島風お好み焼き」の看板が掛けられた。早速二人で入ってみた。内川に面した兎の寝床の建物を改装したものだが、カウンターとテーブルで10人は入れる。最初私どもだけだったが、次々と席が埋まり、8人になっていた。60歳台と思しき主人に聞くと、息子にやったらどうかと勧められ、息子が2000万円かけて改装したという。その息子は、と聞いてみると、明石博之だという。今や内川沿い再開発のプロデューサーとしての有名人。奥さんもデザイナーで独立した事務所を構えている。もともとふたりは東京のまちづくり会社でコンサルタントとして働いていた。初めて手掛けた古民家カフェ「六角堂」を開くのに3年を要している。その後、水辺の民家ホテル「カモメとウミネコ」、気まぐれ食堂「トラトネコ」など矢継ぎ早にように手掛けている。何よりも、彼の情報発信から、ハワイ生まれのスティーブン・ナイトが洋酒バーを開き、ゲストハウスや、かき氷店をやる県外の人が移住してきた。母の実家を5年前に解体し、更地にして坪2万円の捨て値で処分したが、今や売り渋る人が出てきている。思えば、地元人の名前を聞くことはない。よそ者が度胸よく投資して、勝負に出て、結果を出している。

 かすかに残る老人の起業アイデアだが、海王丸のカニと内川のベニス情緒を活かした高級旅館、レストランが作れないものか。島根の境港、兵庫の香住、福井の三国、石川の橋立には、それぞれ店名が思い浮かぶ旅館、レストランがある。三国の山根屋では、1泊5万円を超えている。どこにである新湊第一インではなく、地域間競争を勝ち抜く野心的なプロジェクトに挑戦してほしい。

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