文化の日ひとり無冠の車椅子(拙句)。春秋2回、腹立たしく、不快に思う日がある。文化の日という11月3日と、昭和の日とかいう4月29日だ。新聞テレビは叙勲者の氏名、その紹介で埋め尽くされる。わが国にこれほど善行を積む人が多いのなら、さぞかしと思うがさにあらず、自殺者が今年も3万人を超える惨状である。よく見ると、首をかしげたくなるような人物も数多い。何よりもこの選考作業に携わる労働の虚しさを想像せずにはおれない。春秋に各4,500人として年間9,000人で、褒章も合わせるとざっと1万人に達する。総理府賞勲局をはじめとして、どれほどの公務員が時間を割いているのだろうか。各県に満遍なく、より基準に合うように、ただただ細心の注意を、という実態だろう。加えて、さる筋からの横槍、割り込ませが多い。大分県教委の口利きがここでも横行していると思っていい。
こんなケースがあった。ベアリングなどの製造業で、79年から92年までトップに君臨していた。東京工業大学を出て、海軍技術大尉を経ているのだが、その強烈な自負心で超ワンマン振りを発揮するのだから周囲は堪らない。荒唐無稽な経営選択もあったのだが、呆れ返ったのは叙勲のために社内にチームが出来たこと。当時は勲何等とかの等位もあったので、誰それよりも上位でなければとの思惑から、子供の点数漁りの態であった。そんな愚かな作業に走りまわされる悲喜劇を、この企業に限らず生んでいることも忘れてならない。
生存者の叙勲が始まったのが64年。池田隼人が首相で、“電力の鬼”松永安左エ門に叙勲の内意を伝え、功績調書を出してほしいと頼んだところ、「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか」と怒ってしまったという。松永らしい逸話だが、結局受けている。心底辞退したのは福沢諭吉。「車屋は車をひき、豆腐屋は豆腐をこしらえて、書生は書を読むという人間当たり前の仕事としているのだ、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわなければならぬ」と啖呵を切って、受け取ることは無かった。今秋の叙勲で、宮沢喜一元首相の遺族が辞退していたと聞き、さすがリベラルな家系と爽やかな風を感じた。
権力にとって、これほど安上がりな求心手段は無い。勲章などの製造費用を含めて30億円程度というが、経済に強いという現首相あたりは、叙勲記念パーティから祝賀広告まで関連する需要は10倍以上と胸を張り、叙勲者倍増で内需喚起といい出すかもしれない。
こんな提案をする人もいる。年金を70歳まで辞退した人に無条件で叙勲するという手だ。叙勲者の半数が公務員というから、これは大きな年金改革になる。「ノーブレス オブリージュ」賞というのがピッタリだろう。これを各省庁、各県、各市町村毎に公表し、これを省庁予算、地方交付税などに反映するのもいい。
もし、政党マニフェストで、文化勲章は残すが現行の叙勲制度を廃止するという案があれば、その政党を支持することを明言しておく。
さて、冒頭の句は97歳の父を詠ったものである。老人保健施設に入所しているが、先月末熱を出し、肺炎かもしれないと5日ばかり入院した。老人保健施設は医療行為が限定されているので、連携する病院への緊急入院となる。しかし、現実問題として、病院でもこんな老人を受け入れたくないのがホンネだ。緊急トリアージ制度があれば最下位で、妊産婦、乳幼児が最優先であって当然であり、家族としても何となく申し訳ないと気が引ける気持ちが少なからずある。往診か、もしくは一定の医療行為の容認があれば解決すると思うが、介護医療保険の切り詰めを最優先する厚生労働省は頑として応じない。案の定、点滴を外すからと軽い拘束を受けて、ついに車椅子となってしまった。勲章を飾さなくとも、明治に生まれて、激動の大正・昭和を駆け抜けた無名無冠の君は素晴らしいと、詠んだつもりである。
無冠の車椅子