手紙葬を普及する会

 新年早々唐突な見出しで恐縮だが、「手紙葬を普及する会」を紹介したい。実は1年前に思いつき、パンフも作成していたが、気恥ずかしさもあってお蔵入りしていた。年末の忘年会の席で後輩にこの話を切り出すと、「面白いです。高齢者の背中を押すこと間違いなし」と持ち上げてくれた。朝令暮改はいつものことなので、いま一度世間に問いかけてみたい。路地裏の資本主義を身上とし、とにかく「カネを回せ!」が口癖となっている。品よく収まっていては世の中変わらない。そんないつもの口上だが聞いてもらいたい。

 葬儀はみんなの迷惑になるからと、コロナ禍を言い訳にすっかり激減し、世情は葬儀がダサいとなってしまった。しかし、何か物足りない気持ちが残っている。ヒントになったのが2006年に亡くなった詩人・茨木のり子が遺した別れの手紙。「この度私、この世とおさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。・・この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように」。この手紙を甥の宮崎治に200余の送付リストと共に託した。「あの人は逝ったのかと一瞬、たったの一瞬、思い出して下さればそれで十分でございます」。手紙を手にした人には、さわやか余韻が残る。

 この話をすると、私もこれに倣いたいという人は多い。しかし、こんなにうまく書けないものと止まってしまう。はてさてと思い悩んでいると、絶妙の助言をくれる友人がいた。立花隆著「自分史の書き方」(講談社学術文庫)で、08年に開講した立教セカンドステージ大学で行った講義を元にしている。自分史を書く意味だが、自分の存在確認のためであるが、家族あるいは子孫のためでもある。誰でも家族との人間関係においては、濃いように見えて意外に薄い。特に子供時代や青年時代については、ほとんど知らないはずであり、面と向かっては話し難く、自分史でさりげなく伝えるのがベストとなる。手紙は自分史を要約する。

 また、教師役というより、話し相手役を決めて、メモを取り、聞き語りをまとめていく。コピーライターとして鳴らした男に話すと、分厚い自慢たっぷりの自伝より、この方が読みやすくベストです。ぜひやって見たいとふたつ返事だった。

 グッドアイデアが更に続く。付き合いのある印刷所にこの話をすると、写真を入れたり、気の利いたデザイン処理もスタッフの得意分野、この原稿の保管や発送作業も、お手の物ということになった。

 さて、最後の難問が価格設定である。資本主義の根幹は市場で「選び、選ばれる」関係が出来てこそカネが回る。双方に納得される価格を決めなければならない。葬儀の相場は200万円前後と聞いたことはある。相場感として20万円が相当だろうとなった。面談して手紙文をまとめるコピーライター、校正デザインして印刷保管する印刷所のコストも賄えるという判断である。意外な出来栄えに定価以上に弾んでくれる高齢者も多いはずであり、友人を紹介してくれることも十分考えられる。

 「手紙葬を普及する会」をプラットホームにして、様々な自分史なる手紙が歴史の断面を記録していく。それは身辺雑記的な記録に留まらず、同時代史の中で翻弄される個人が映し出されるオーラルヒストリー集でもある。

 80歳に手が届こうというのに、こんな夢を見ている。恥ずかしい限り。なお、このプランは単なる思いつきであり、どなたが活用されようと全く構わない。

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