あとや先、五十嵐兄逝く

固唾を飲むとはこのこと。彼女は泣き叫ぶのか、はたまた突っ伏すのか。複雑な気持ちを整理しかねて待っていた。彼女にはまだ父の死は知らせてなかった。いい出しかねて、危篤だからすぐに帰るように、とだけ伝えたという。富山駅から今からタクシーに乗ると電話があった。隣の友人は誰か彼女を支えるようにとしきりに声をかけていた。

玄関で二言三言交わす。すべてを察したように、コートを畳んで、変わり果てた父の枕元に座った。すぐに顔を被っていた白布を取り去って、顔を見つめていた。そしてちょっとはだけた襟をただすために手を差し伸べた。その時手に何か触れたみたいで、誰かに問い掛けたそうな表情をした。向かいにいた葬儀屋がドライアイスがちょっと溶けただけだと、察して声を掛けた。納得したように体の向きを変えてしばらく見入っていた。隣の老婆に促され、焼香代の前に座り直して目をつむって合掌をしたあと、われわれにちょっとはにかむように会釈をした。

7年前に交通事故で母を瞬時に失い、その直後に祖母を、数年前に祖父を、そして今また父を。ついに天涯孤独になってしまった。確か28歳。2人の関係は、世間一般の父と娘の関わり方とはちょっと違って見えた。それは父・五十嵐克己の一人娘に対する、あふれこぼれる愛情の注ぎように全ては行き着くのだが。父兄参観など学校行事も彼が担当し、よく娘の本の注文を清明堂から取り寄せていた。幼児からの彼女の読書量は凄かった。現在の国会図書館勤務もその意味では最も適したもの。この仕事が彼女を救ってくれるだろうと確信している。父娘の織りなした生きざまがここに息づいているのだ。これでよし。麻理世さんよ「涙をぬぐって、さあ働こう」である。

その彼が何で、こんな結末を選ばなければならなかったのか。酒をも彼は愛し過ぎた。あふれる情愛を持て余しかねて、酒の力を借りざるを得なかったのだ。そう思っている。心優しい人であった。思い出は温泉と酒の旅。熊野古道を歩きに歩き、湯峰温泉にようやくに辿り着き余りの疲労に眠れずに酒にしたが、どれだけ飲んでも酔えなかった。この時白装束の巡礼着を用意してきたのが彼。福地温泉の長座、小松の熊料理屋、出羽三山などなど。玄関にポイッと泥だらけの野菜を置いていくのも彼。

11月20日午前6時過ぎ、五十嵐が亡くなったと連絡がきた。朝食の用意をしていて、このまま飛び出すべきか迷っていたが、朝食を済ませてからと思い定めた。手を動かしながら薄情な自分を呵責しつつ、死者は生者を走らせるな、が持論と自らに言い訳を。

死をあまり大仰に考えない。これは大切なこと。もちろん無念、未練はいっぱいあるだろう。しかし死がすべての人にあるから、業つくばった生き方もできないのだと思った方がいい。「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」。きっと彼も笑っているだろうと思う。「麻理世、ありがとう。友よ、早く来ることもないが、こちらもいいぞ。楽しかったぜ。」

五十嵐兄、享年59歳。

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