「パレスチナ解放闘争史」

 手にしたのはいいが、どう書き出していくか。雲をつかむような女性である。「パレスチナ解放闘争史」(作品社 3600円 発行2024年3月25日)。著者はご存じ重信房子で、老人と同じく1945年の東京生まれ。遠い存在として関心の外であったが、その思考経路はわかるはずである。部厚く読み切っていないが、そう信じて綴ってみた。もちろん一緒にガザを語る資格はないのは百も承知。吉永小百合同様に、同年生まれの親近感を抱いても罰は当たるまい。瀬戸内寂聴も手紙のやり取りをしているが、脱線はお許し願いたい。

 一番手がかりにしたのは「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」。2001年幻冬舎の発行。武装闘争しか世界を変え得ないとパレスチナの闘争に身を投じる中で、出産を決意する。1973年3月1日無事、重信メイが生まれた。出産費用を払おうとすると、「日本赤軍は仲間だ、カネなど受け取れない」と押し問答が続いた。院長は「出産おめでとう。そしてありがとう。わが病院の誇りです」と直立不動で礼を述べたという。

 パレスチナに国際根拠地闘争の拠点を設けようと提起した重信連合赤軍は、国際ボランティアとして進出する。今にして思うとそう突飛ではないと思う。イスラエルの徹底した植民地支配は日本のそれをなぞるように経験することに他ならなかった。1936年のスペイン内戦では、あらゆる国の心ある若者がはせ参じた。映画「誰がために鐘が鳴る」を思い出してほしい。奪い尽くす、殺し尽くすしかないとするシオニストたち。重信は身近かに多くの仲間の死を見せつけられてきた。

 22年5月28日に20年の刑を終えて出所し、講演する彼女の落ち着いた口調に同世代を感じた。もう80歳なのである。彼女は明治大学に入るが同人誌に短編を投稿するなど文学素養を持っている。高校時代に「橋のない川」を読み、大きな衝撃を受けてもいる。そんな感受性は、独房で短歌に目覚め、歌集「ジャスミンを銃口に」を上梓している。「君が骸この両腕にいだくまで時空を走るわが銀河鉄道」「拷問にて果てし骸を抱けもせず君のパジャマを弔いし夜」。

 彼女は逮捕時にこう語っている。「これからも武装闘争を続けますか」「私たちは今まで、その時代、その民衆が必要とする闘争をしてきた。今の日本はそれを必要としていない」。

 更に興味を抱いたのは、明治大学雄弁部でその才能を磨き出している。弁が走れば、弁が勝手に走り出し、学生組織特有の純粋単純化が赤軍に行きついたのだろう。塩見議長との肌合いの違いから、国際根拠地闘争に飛び、根本的な過ちは武装闘争を何が何でもやると固執し続けたことにあった。しかしパレスティナでは、祖国を追われ、民族浄化にさらされている中で、生存を掛けた武装闘争。パレスティナではそれ以外の選択肢がない。この矛盾こそ理解してほしい。彼女の最後の訴えかもしれない。

 1945年生まれで、生き残っている諸君!老人義勇兵として、いざパレスティナへ。集団自決しろとほざいている奴に、我らが高い志をみせつけてやろう。

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