おじいちゃんにもセックスを。詩人・田村隆一

読者諸兄諸姉よ、眼を急に輝かせないでほしい。あなたが想像する興味津々のテーマを語るつもりではない。見出しのコピーは98年年頭の「宝島社」の新聞広告。モデルは詩人田村隆一。ステッキ片手に、知的で詩的なる風貌をさらけ出している。誰しも、これを見て度肝を抜かれた。得意そうで、シャイさを秘めながら、皮肉たっぷりに「どうだ」というその表情。「やってくれましたね」と思わず笑いかけた。現代詩のトップランナー。酒もこよなく愛し、探偵小説編集者をへて自らもミステリーの翻訳を手がける。彼の温かいまなざしに心和んだ。そして同年の8月に亡くなっている。75歳。

宝島社は9月に「じゃあみなさん。これからいろいろ大変だろうけど お先に失礼します」の追悼広告を出している。この掛け合いの絶妙さ。宝島社の心意気に感じ入った。粋の極意。出版社、いやマスコミに連なるもの、かくあらねばなるまい。

彼の手によって削ぎ落とされた言葉が、「一篇の詩は、かろうじて一行にささえられている」という如く繊細に紡ぎだされてきた。夭折ではなく70年余を生き切っての詩だからいい。もちろん気取りはあるだろう。むしろ恥ずかしくてしようがないんだろう、と思う。だから酒を飲む。喧嘩をする。大江健三郎が日暮里駅前で二人とも乱酔してなぐりあったと書いている。恥ずかしさに居たたまれず、自分を殴っているのだ。魚津の銭湯「平成松の湯」に田村隆一の詩が大きく書かれている。銭湯と隆一。これがやっぱりお似合いだ。心と言葉が裸でぶつかっている。

急にこのことを思い出したのは、婦人公論11/22号に「セックスを大切にしていますか」特集があったから。さりげなく立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。もちろん田村隆一詩集2冊を上にしてレジに。中年男の見栄という厄介なものを引きずっているのだ。わが世代、まだ枯れるには早いのである。周囲を見まわしてもそうだ。ほんの一握りの人間を除いて、性なるものを薬籠に飼い慣らしている奴はいない。まだまだ翻弄されているのが真実。それはそうだ。性教育の記憶なく、隠され、抑圧され、その対極として過剰な幻想を抱かされ過ぎた。なかなか押さえ切れない代物というのが共通認識だ。Y染色体の苦悩というべきか。

一方婦人公論も然り。XX染色体の持ち主もつらいのだ。しかしこの企画は何ら新鮮味もなく、通り一遍。立ち読みですますべきだった。この社は、やはり読売資本傘下に入ってから鋭さに欠ける。

田村隆一が死の数時間前に、妻と娘に紙を用意させ、書いた絶筆が「死よ おごる勿れ」。英国の詩人ジョンダンの句。死と壮絶に闘って田村隆一は逝ったのである。

© 2020 ゆずりは通信