竹中プラン

わが国の銀行はどうなるのか。次なるヤマ場は平成17年4月のペイオフ解禁。ペイオフとは、銀行が破産しても預金の補償はしませんということ。2年も先延ばししたが再びはあり得ない。そんな事態が起きれば、預金封鎖だ。政治も行政もすべてがそこに向かって動いている。それまでにすべての銀行の選別、淘汰をしてしまうという寸法だ。その象徴が竹中プラン。その竹中プランの登場とともに、月光仮面のように登場したのが木村剛。マスコミあげてちょうじ寵児扱いである。日本銀行を飛び出して、コンサルティング会社を立ち上げた。アメリカの投資家の資本提供を受けていたので、「外資の手先」と罵られる場面も多い。富山出身の41歳。中学、高校の後輩、といっても17歳も違う。ひょんなことから、彼の講演の後対談することになった。みんなが尻込みして、お鉢が回ってきたというのが真相。

日本銀行といえば、高校同期にKという男がいた。肌合いが違うということで敬遠していた。1年浪人して東大へ進み、日銀に。東京での同窓会で、何十年ぶりかで顔をあわせた。ニューヨーク勤務を終えたばかりということだったが、仕立てのいい紺のスーツを着こなしていた。国際金融の舞台がこんな風に男を変えていくのか、と驚いた。最近こそ日銀が脚光?を浴びているが、金融が順調なときは実に目立たない存在である。城山三郎の著書に「小説日本銀行」がある。一万田尚登総裁、池田隼人大蔵大臣の時代背景で、内部の出世競争、権謀術数が渦巻く中で、中央銀行の使命である「通貨の安定」を追求し、挫折する日銀の若きエリートを描いている。そういえば、俳人金子兜太も日銀である。戦後の日銀労働組合で、これも理想を求め挫折を味わっている。しかし、日銀の現実は現場を持たない悲しさ。政策決定はトップの一握りだけ。地道な調査が主だから、官僚主義が幅を利かせ、退屈極まりない。スーツの仕立ての良さと、公舎の豪奢さでしか権威が保てないというのが本音ではなかろうか。

さて、木村剛。付属中学、富山中部高校でサッカーをやり、全国大会を3度経験している。高校では2年で受験のために退部するが、親友成瀬(現中部高校サッカー部監督)に涙の説得を受けて復帰、インターハイ県代表の切符を手にする。京都大学の理系を狙っていたが、親父が理系では食えないといわれ、東大経済に変えたというから、現実感覚を持ち合わせた熱血漢というところ。その性格そのままに、日銀の幹部養成コースを歩む。転機はやはりニューヨーク勤務だったと推察する。血が騒いだのであろう。個人保証15億円で、丸の内にコンサル会社を立ち上げる。それからの試練は想像以上。アメリカ資本の手厳しい監視と、とにかく稼げの苛烈な要求に眠れぬ日々を。いまでも月々5000万円の運転資金が待ったなしでやってくる。竹中平蔵には『男気』を感じて馳せ参じた。竹中プランは単純でただ事実だけ明らかにしよう、といっているに過ぎない。銀行の業務純益はバブルの絶頂期の1988年で3兆5000億、デフレ不況の2001年で4兆5000億。しっかりやっていれば銀行は確実に儲かる企業。不良債権は銀行の負の遺産、とりわけ経営陣のダーティさだ。後継頭取には、これだけは隠し続けてくれよ、とささやき、俺の退職慰労金はこれで大丈夫とする大銀行の頭取たち。こうした体質をそのままにして、税金をどれだけ投入してもよくなるわけがない。世の御用学者たちがこの不況での不良債権処理は、いたちごっこでますます悪くするだけというが、このガン部分を取り除かなく金融再生はあり得ないと信じる。こうした中である大銀行では、45歳の希望退職者に7000万円を支払っているという。これでは中小企業を守る銀行経営が出来るわけがない。いま思い切って膿みを出すべきである。

さて帰途の車中。アメリカの資本主義はやはりどこかおかしい。苦しかったけど外資を返上しましたよ。資本の奴隷となってひたすら消耗するだけですからね。日本の資本提供者は「赤字だけは出すなよ」といいますが、天使の声のように聞こえます。新しい銀行を作るという仕事に精力を傾けるという。

木村剛君 富山ではやはり納まりきらない男だ。疲れが見えるようだが、身体に気をつけてがんばってくれ、とだけ。

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