なづな花咲く 和田徳一伝

ついこの前のことはすぐ忘れるのに、四十余年前のことが鮮明によみがえってくる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず―」。こんなものが突然に。鴨長明の方丈記の書き出しであるが、こんな古典を中学生に向かって式辞で延々とかたる校長がいた。和田徳一校長。中学の入学式から卒業式まで、この調子でほとんど理解されていないのを承知であらゆる古典から引用し、こころを込めて語りかけるように。中学生だからと手抜きなどもってのほかで、大学生や同じ研究者に対するものと、その真摯さは変わらなかったと思う。今の年齢であれば、どんなにか感銘を受け、触発されたのに本当に惜しい、もったいない。しかし、この伝えたいという熱情があったればこそ、方丈記の一節がひょいと中学生時代の記憶の引き出しから飛び出してきたのである。しかも鮮明に。でもこの時、その出典さえ覚束ない。早速に富山市立図書館の同級生、朝日奈さんに連絡を取る。彼女は司書歴三十余年。何でも即座に答えてくれる。それは方丈記だけれど、校長の式辞の記憶はないという。確か和田さんの自伝が出版されているが、失念したとのこと。これからが私の得意分野。徳島の出身で苦学されて富山大学教授になられたと聞いていたので、徳島県立図書館に連絡をとった。問い合わせの書名は「なづな花咲く」と。本は富山県立図書館にあった。

芭蕉の句に「よく見ればなづな花咲く垣根かな」があり、そこから。なづなはぺんぺん草であるが、よく気をつけてみると野の草は野の草なりに、雑草は雑草なりに、その時々を精一杯に生き、自分の命を大切にして、花咲く季節になれば、その草にふさわしい花を慎ましく咲かせている。その姿を私は貴いと思う。―出版によせての和田校長の謙虚な一文。尋常小学校を卒業し、こたつ職人をしながら血のにじむような独学で、旧制中学校卒業資格試験、中等学校国語科教員検定試験、旧制功高等学校国語科教員検定試験を次々にパス。といっても驚くなかれ、この最終試験の最小限の必読書は古事記・万葉集・源氏物語・枕草子・古今集・大鏡・新古今集・平家物語・太平記などの国文学作品に加え、大学・中庸・論語・孟子・十八史略・唐詩選などの漢文学を読破してのもの。山田孝雄博士や与謝野晶子とも親しくされた、と。中学生で本物に出会う、これこそ教育だったのだと今にして。

思うに教育基本法を改正して教育を変えようという動きもあるが、とても小手先で変えられるものではない。社会全体の力量をアップしないと駄目。小中学校の校長を民間から登用できるようになったが、全国で三人だけ。身を立て名を挙げ感覚で、教育委員会ばかりに目を向けず、しっかりと子どもに目を向けた民間からの校長の登用がなされるほうが先決だと思う。

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