イスラエル・ロビー

1冊の本が、アメリカ大統領選挙に大きな影響を与えている。「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策」(講談社 1800円)。世界で最も自由である国・アメリカで出版が拒否され、イギリスで陽の目をみた。アメリカのタブーがひとつ、勇気ある二人の著者によって打ち破られたのである。シカゴ大学教授J.J.ミアシャイマーと、ハーバード大学教授S.M.ウォルトだが、国際関係論の分野では世界的な権威である。しかもふたりともユダヤ系の出自というから、二つの大きなリスクを覚悟の上で、自らの知性に賭けたといっていい。その勇気はどれだけ賞賛しても、賞賛し過ぎるということはない。両国の歪んだ構図が明らかにされ、ヒラリー苦戦、オバマ善戦という背景ともなっているのだ、と思っている。
 02年から3年かけて周到に準備し、執筆を重ねてきた。掲載を前提に緊密な連絡を取り合ってきた「アトランティック・マンスリー」は、欧米双方に読者を持つ伝統と格式ある言論誌だ。それにも関わらず、脅えたかのように掲載を断念する旨を伝えた。思わず、教研集会を拒否したグランドプリンスホテル新高輪を思い起こしたが、よく似ている。その後、他の出版社と掛け合ったが、芳しいものではなかった。アメリカのジャーナリズムの逼塞状況を如実に示しているのだが、それ程のタブーであったのだ。論文は「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」に06年3月に掲載された。同時にハーバード大学J.F.ケネディ政治学大学院のウェブサイトにも掲載したが、その反響はもの凄いものだった。3ヵ月で275,000回もダウンロードされたという。そして満を持して、07年9月に参考文献や脚注も万全に、本として世界同時発売された。
 冒頭に「自分が長い間、当然だと思い込んできた物事や出来事を、時に疑ってみることはすべての人間行動において健全なことなのである」とバートランド・ラッセルの言葉を掲げている。日本の知性は一体どうしているのだろうか。大学教授と呼ばれる人たちよ、ちょっとした研究費のアメをしゃぶらされて、定年まで生き延び、年金で生きながらえようとしているのではないだろうな。学生が格差社会に慄いているのに、保身に汲々とする姿しか見せられないとしたら、教育者失格といっていい。おっと、すぐ熱くなる。これだから年寄りは困ってしまう。
 アメリカとイスラエルの関係だ。ほぼ毎年30億ドル、円換算で3300億円が直接的対外援助として、アメリカからイスラエルに支払われている。他の便宜供与も考えれば43億ドルは超えるという。2位のエジプト、パキスタンを大きく引き離している。一括前払いで、その使途にも条件は付けていない。その上にローン保証もしている。ユダヤ人移民の定住に伴う経費として、90年代におよそ100億ドルの保証が認められている。また米国市民からの個人的な寄付が推定で20億ドルあるといわれ、それらがイスラエルだけ免税とされている。イスラエルの06年の一人当たりの所得は、世界29番目で韓国、台湾よりも上位である。この裕福な国家が米国の最大の被援助国となっている。無批判かつ無条件な支援を続ける関係は、米国の国益に適っていないと、この本は告発する。イスラエルロビーを構成する有力団体の職員は、1枚のナプキンを目の前に「24時間以内に、この紙ナプキンに70人の上院議員たちの署名を集めることが出来る」と豪語するくらいの影響力を危ぶんでもいる。反ユダヤ主義者だと烙印されれば、大統領選挙どころではない。オバマも、パレスチナ人の苦労に同情し、今なお苦しんでいることに言及しつつ、イスラエルロビー団体では、イスラエルを見捨てないと講演するほどの慎重な気配りをしている。
 しかし、この大きな地殻変動のうねりが、アメリカで起きつつあることは忘れてはならない。新テロ特措法は何だったのか、ということになりかねない。1冊の本に爆弾のような破壊力があることがわかれば、テロリストは爆弾で攻撃をすることは止めるだろうと指摘するのは、あの老人党の“なだいなだ”である。(「ちくま」2月号から)

© 2020 ゆずりは通信