私たち一人ひとりの体内には、熱帯雨林のような複雑で豊かな生態系がある。米国の著名な微生物学者ブレイザーが「失われてゆく、我々の内なる細菌」(みすず書房)で指摘する。ヒトの体はおおよそ30兆個の細胞からなっている。ではその体にどれほどの微生物が住み着いているか。何と、100兆個だそうだ。つまり私たちの体は、自前の細胞よりも、はるかに多い微生物で成り立っている。その微生物の多様性は驚くべきもので、遺伝子の総数はヒト遺伝子の100倍以上になるという。生命のめぐりが幾重にも積み重なり、絡み合っているのだ。しかし、そのヒトの内なる生態系が危機に瀕している。原因は抗生物質である。
人類が抗生物質を発見して88年。抗生物質は結核などに「奇跡の薬」として無数の命を救ってきた。そして今や、豚や牛など家畜の成長促進にも使われて、過剰な使用が異変を起こしている。抗生物質の効かぬ薬剤耐性菌が次々生まれ、最新の報告では、このままだと2050年には強力な耐性菌のため、世界で3秒にひとりの命が失われるようになると警鐘を鳴らしている。(中日春秋 5月31日から)
ピロリ菌にしてもそうである。胃がんの原因とされたピロリ菌は抗生物質という武器で徹底的に消し去られた。だが、ピロリ菌の消滅が何をもたらしたか。食道組織の障害である。つまりピロリ菌は、本拠地である胃に対して時に「悪さ」をするが、ふだんは胃液の高酸性を中和する働き手であった。そのピロリ菌を失うことで、酸性度の高い胃酸が食道に逆流し、荒れ狂い、食道がんを惹き起こす。ヒトとピロリ菌は綱渡りをする芸人がバランスをとるように、お互いに適応してきた。しかし今や、相手のいないひとりダンスが始まってしまった。
ふと思う。抗生物質というのは核物質と同じじゃないのか。科学の進歩と信じて、これは素晴らしいともてはやされたが、その脅威に怯えつつ、もて余している存在ということになる。
そして、参院選真っ只中だ。小さな挑戦として、選挙活動に関わったが、選挙民への説得にてこずっている。人間というのは何者なのか。どんな刺激に反応するのか。標記のコラムを読んで、ふと思った。体内にこれほど豊かで複雑な生態系を持つヒトというのは自然内の存在としては、ひ弱で臆病ということになる。ひとりで生きていけない社会的な存在となれば、政治という枠組みからは逃れることは出来ず、家族、共同体、国家に依存するしかない。取り敢えず順応し、延命するしかない存在といえるかもしれない。改憲されて、基本的人権も、平和主義も失うかもしれないと叫んでみても、次の取り敢えずの安心、安定が保障されないと同調できないと世論調査はいっている。
それでも、いっておきたい。限りある生命で、しかも1回しか生きられないのに、ずっと順応していくだけでいいのか。時に自分で信じる選択肢があれば、それが自分に不利益であっても殉じることで、これが自分の役割であったと納得し、静かに退場すればいいのではないか。孤立無援となるかもしれないが、まして団塊世代であれば、これを受け入れて意味ある生き方にするべきであろう。
最後に、がんとの闘いを断念した大橋 巨泉の遺言を紹介したい。「最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」。巨泉の憂国の思いに応えてほしい。
大橋巨泉の遺言