「一週間」

シベリア抑留が舞台を見るように理解できる。しかも、そのまま「こまつ座」で上演できるのではないかと思える。もっと早く読んでおけば、と悔やまれるが、著者自身が亡くなってしまった直後の出版で気が進まなかった。ご存じ井上ひさしの「一週間」(新潮社)である。
 やはり惜しい才能を失ったと今更ながら悔やまれる。参考文献65冊を跳梁し、虚実をないまぜにしながら、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」を地でいく。ロシア語堪能な主人公・小松修吉に自らを託すように極寒のシベリア捕虜収容所の一週間を描いているのだが、ひさしワールドを久しぶりに楽しむことができた。
 日本の敗戦が決まるや否やスターリンは、日本軍捕虜60万人のソ連移送と強制労働利用の命令を下した。そこから極寒での悲劇が始まったのだが、停戦協定の席上、廃虚となった日本では受け入れがたいとわが国から留め置いてほしいと提案したともいわれている。
 その60万人を対象に日本新聞が発行されている。思想教育でもあるのだが、小松がそこの編集に請われてハバロフスクに出向くことから始まる。小松は共産党細胞で、上海に活動資金を受け取りにいって逮捕され、手酷い拷問も受けている。その時裏切ったMもシベリアにいると聞き、突き止めたいという目的も持っている。
 日本人捕虜が5万人を超える犠牲を出した大きな原因に、日本軍の旧秩序をそのまま持ち込んだことにある。その方が管理しやすいとみたソ連の責任もいえるが、将校や下士官は強制労働を免れたことから、威張り散らし、配給される命をつなぐだけの糧食をピンはねしたりした。リンチや栄養失調が犠牲を増やしたのである。そして何よりも関東軍幹部は戦時国際法に通じず、ソ連に追従するのみで捕虜の待遇改善や権利を要求することは全くなかった。手の平を返すように昨日までの世界観や処世訓を変えてしまう変節漢もまた多かったのである。ドイツ人が入った捕虜収容所では、将校たちが待遇改善に体を張って抗議し、死亡するものも格段に少なかった。ちなみに日本における捕虜の死亡率が27%、ドイツ・イタリアでは4%で、日本のそれは極端に高いことも銘記しておかねばならない。「日本の収容所こそ悪夢なのだよ」というソ連高官の声が耳に残る。
 さて、小松の真骨頂は、というより井上のだが、こんな場面だ。脱走を企てた軍医の手記を取材する中で、その軍医からレーニンの自筆の手紙を預かることになった。ロシア革命を主導したレーニンの思想的な恥部が記されている。その手紙を暴露すると脅しながら、ソビエト官僚機構即ち極東赤軍政治部に挑む。2転3転して結局は失敗するのだが、素手で国家機構に立ち向かう度胸のよさ、捕虜の待遇改善を自らの犠牲を省みず図ろうとする義侠心。小気味のいい展開は、井上の願うわが民族の誇りを垣間見せる。
 そして、もうひとつ付け加えておかねばならない。最強といわれた関東軍が壊滅するなかで、8月9日から12日にかけて、高級軍人の家族2万人、満鉄幹部の家族1万6千人、大使館・領事館の家族700人が、他の民間人に先駆けて満州から朝鮮に逃げ出していることだ。満州の地にそのまま残された満蒙開拓団の悲劇をこの幹部たちはどう釈明するのだろうか。
 そんな思いのところに「表裏井上ひさし協奏曲」なるものが上梓された。西舘好子・元夫人が夫婦の壮絶な修羅場を冷静に綴っているという。そういえば「一週間」のロシア語は再婚相手の米原ユリに負うところが多い。井上の狂気に近い緊張から、作品が生まれているのは間違いない。読もうか読むまいか迷っているが、多分読まないと思う。

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