「野火」

やはり8月は特別な気分になる。重たいなと思いつつ、大岡昌平の「野火」に挑むことにした。高橋源一郎が朝日論壇で、塚本晋也監督によって映画化された「野火」の激しいリアリズムを絶賛したのに促されたのが一因。それよりも、何も読んでいない大岡にも申し訳ないという気持ちが強かった。1909年生まれで、高校時代にアテネフランセで仏語を学び、小林秀雄の個人レッスンを受けて、中原中也との交友もあった。京都大学仏文科に進み、その間スタンダールに傾倒している。そんな精神貴族が、44年に35歳で招集を受けて、フィリピン・レイテ島に配属された。絶望的な軍隊生活、飢餓の極限で人肉にも手を伸ばそうとした敗残兵としての末路を経験し、俘虜生活で小康を得て帰国した。「俘虜記」で文壇デビューを果たす。大岡の生命力といえばいいのだろうが、旺盛な好奇心は時にゴルフに向かい、漫画、音楽にも及び、女性にも及ぶ。加えて、喧嘩早く舟橋聖一とは特に相性が悪かった。「自分は深い人間ではない。横に拡がって行く人間だ」といって、88年に没した。
 さて、野火のあらすじである。レイテ島に上陸するとまもなく、「私」(田村一等兵)は喀血した。5日分の食糧を与えられて、患者収容所に入院する。3日後、治ったといわれて復隊するが、5日分の食糧を持っていった以上5日は置いてもらえと病院へ引き返したが断られた。中隊に戻るとぶん殴られて「おまえみたいな肺病やみを飼っておく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくれなかったら、死ね。それがおまえのたった一つの奉公だ」と追い立てられて、その後はひとりで銃をもってのフィリピン山野を彷徨するしかなかった。
 ある村の教会に行き着いた時に、偶然紛れ込んできたフィリピンの女を射殺してしまった。それまで孤立の戦場で自分以外のなにものをも感じなかったはずの「私」に、苦悩が渦巻いた。その後銃を捨ててしまう。飢えも極限に達し、自分の体の露出部分を覆い尽くす自分の血を吸った山蛭を食べる。密林の中は日本兵の夥しい死体と辛うじて歩いて敗残兵だが、二人の兵に出会って、彼らからスライスした「猿の乾し肉」を恵んでもらう。猿といっているだけに過ぎないのだが、やがてそれが尽きると人間関係がくずれ、相手の銃を奪い取って殺してしまう。記憶はここで途切れていた。
 「私」は東京の精神病院で手記を綴っている。自由連想診察の延長として、過去を書かしめるのが適当と認めたらしい。米軍の衛生兵のいうところでは、山中でゲリラに捕らえられ、米軍の野戦病院に収容されてから帰国したという。「私」には野火の燃え上がる風景が残っているだけだった。
 映画「野火」だが、田村一等兵は塚本晋也監督自身が演じている。力が入りすぎて観ている方が疲れてしまう、というのが率直な感想。田村の妻を演じた中村優子の、手記を綴る書斎の机に向かって頭を打ち付ける田村の所作を、もう突き放したように見ている眼が妙に印象に残った。フィリピン戦線ではフィリピン人100万人、日本兵50万人が亡くなっている。日本兵のほとんどが餓死、病死であろう。靖国参拝を見るにつけ、その彼らが英霊として祀られることを望んでいるはずがない。
 申し訳ないと思う作家は野間宏、五味川純平、高見順とまだまだいるのだが、もう無理だと思いはじめている。
 最後に、山田洋二の「安保法案は『何かあったら戦う』となっているが、『いざとなっても戦わない』というのがこの国のあり方」というのがいい。加えて「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」金子兜太の句だが、しみじみと思う8月15日である。

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