「哀しみは疾走する」愚かな挑戦

「あなたにはモーツアルトは無理だろう」というクラシック通なる友の言葉がひっかかっている。確かに耳が悪い。ドミソ、ドファラ、シレソの和音がまったく聞き分けられない。モーツアルトが一体彼らにどんな風に聞こえているのか、一度でいいからそんな耳と取り換えて聞きたいものだと思う時がある。そんなこともあり、モーツアルトの24曲を抜粋したCDを通勤途上繰り返し聞いてみた。

いまも交響曲40番を聞いている。あの小林秀雄が、大阪の道頓堀を歩いていて頭の中で突然に鳴り響いたというト短調シンフォニーだ。やはり活字人間にとっては、モーツアルトといえば小林秀雄なのである。生誕100年ということで新潮社が全集を出しているが、学生時代の新潮文庫を探し出してきた。そして読み返してみた。音楽を活字で理解させようというのは所詮無理。難解であり、五線譜も出てくるからそこで止まってしまう。大変にして苦痛であった。なぜ小林がモーツアルトだったのか。偉そうで、気難しそうで、謹厳実直で、風貌そのものが知性の彼にこんな人間臭い過去がある。大正14年4月というから23歳の時。小林秀雄は富永太郎を会して中原中也と知り合う。その頃中也は長谷川泰子と同棲していた。やがて小林はその泰子に惹かれる。そして彼女を中也から奪い取ってしまう。とても信じられないがそんな激しさを秘めていた。いわば恋の勝利者。しかしその勝利は、彼に地獄のような苦しみを与える。二人は2年半一緒に暮らすが、彼女の
病的な潔癖、、狂気めいた混乱にれる。

疲労と死と自意識をからませた糸玉なって、小林の神経を逆なでし、圧迫し、苦しませる。男であればちょっと思い当たることの一つや二つはあるはず。女性からのDVである。小林は逃げた。誰にも知らせず一人姿をくらませたのである。奈良在住の志賀直哉を頼りとしながらの放浪生活。そして道頓堀でモーツアルトなのである。「僕は脳みそに手術を受けたように驚き、感動で震えた。百貨店に駆け込み、レコードを聴いたがもはや感動は返ってこなかった」。「本当に悲しい音楽とはこういうものであろうと僕は思った」。モーツアルトはこんな精神状況を背景にしないと響かないのである。よくわかった。あなたにモーツアルトは無理といった真意も。愚かな挑戦であった。

一方中原中也は「汚れちまった悲しみに」をうたい、絶望と孤独に打ちひしがれていた。小林の「Xへの手紙」では、女が男を成長させるとある。わが文庫本のそこに赤い線を引いている。いつか成長させる女の出現をと思っていたのであろう。同じく20歳前後、悪女であっても待ち焦がれていたのである。そしてついに、モーツアルトを脳髄に響かせる機会が得られないまま生涯を終えようとしている。幸運というべきか。

さてモーツアルトである。構想が奔流のように流れ、それが修正の跡もとどめぬ原譜は、実にや鶏の話をしながら書かれたという。世間話をしながらあの名曲が生まれてきたのである。そして日常における猥雑な性格と作品とはまったく一致しない。「永遠の少児」であった天才は、注文の鎮魂曲を未完のままにしている。しかし彼の作曲のすべてが鎮魂曲であるという小林は正鵠を射ている。

今度歌劇「魔笛」が上演されたら、挑戦してみよう。眠ることはあるまい。

しかし偶然というべきか、モーツアルトも正岡子規も35歳の命なのである。何か事をなすにしても、人間35年ぐらいで十分なのだ。そこを過ぎて何もないということは無為なる人生ということに。諸君そうなのだぞ。

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