ウクライナ

剣幸が歌うサンライズサンセットはお気に入りの1曲である。ご存じ森繁久彌が「屋根の上のヴァイオリン弾き」で歌ったものだが、このミュージカルこそウクライナが舞台であった。19世紀末の帝政ロシアはポーランドを併合することで、多くのユダヤ人を抱え込むことになった。しかしロシア商人たちのユダヤ人に対する反感、憎しみは増大し、野放しにするわけにいかずユダヤ人の定住区を設定する政策が採られた。その一番大きなところがウクライナであり、ボグロムと呼ばれるユダヤ人迫害は度を強められながら、長く続くことになった。ウクライナ民族主義者によるユダヤ人虐殺は数十万人にのぼるともいわれている。「屋根の上のヴァイオリン弾き」はウクライナに閉じ込められたユダヤ人がどういう扱いを受けたかを背景にしている。ウクライナの民族構図としては、ロシア人がウクライナ人を抑圧し、そのウクライナ人がユダヤ人を抑圧するという根強く複雑なものとなっている。ナチスドイツの反省から忘れられようとしていたことが、今回の騒動で表面化しようとし、厄介なのはその軋轢を利用する政治が動き、軍事機構が絡みだしているということだ。
 知人の小林和男・元NHK解説主幹はこの渦中にロシアを訪れていた。こんな報告である。ロシアは落ち着いており、世界の非難をよそに自信にあふれている。指揮者のゲルギエフはプーチン大統領への信頼を口にし、ゴルバチョフ元大統領もクリミアのロシア編入を全面的に支持すると今回の措置を賞賛している。クリミアは帝政時代に、ここを巡る戦争で敗北し、その結果アラスカをアメリカに売却せざるを得なくなった経緯がある。二束三文で手放したあとで、アラスカに金や天然ガス、石油が噴き出した。以後ロシアは、領土は何があっても手放してはならないとするロシアのナショナリズム、愛国心の原点として刻み込んだ。その因縁の地を取り戻したのだから、盛り上がっても不思議ではない。しかし、このままで終わるわけがない。民族間の対立という根深い問題に火が付けることになったのだから、取り戻した以上の対価を払わなければならない。
 そして、東郷和彦・元外務省欧亜局長が「ウクライナの激震と日本外交の岐路」を世界6月号に寄稿している。日本外交の選択はもはや「待った」の余地はない。クリミアは政治的、歴史的、軍事的あらゆる側面で考えても、事態を「併合前」に戻すことは不可能だ。是認できないにしても、実体的にはこの問題は「すり抜けさせる」以外に方策はない。手をこまねいて中ロの接近を許せば、日本にとって死活的な重大危機を引き起こしかねない。クリミアの回復は失われた歴史の回復であるとする論理は、北方領土にも、尖閣にも通じることになるからだ。この動きを止めるには、これまで暖めてきたプーチンとの関係を大胆に生かすべきであり、あらゆる機会をとらえて会談の機会を模索すべきだ。そして靖国参拝で世界世論に与えた「安倍自己中・自尊主義」を一刻も早く捨て去ることである。その上で世界思想に通じる日本発の思想を早く示さなければならない、としている。
 さて、集団的自衛権を子どもだましの論理で、これでもかとおためごかしに叫ばれると、主権者である国民を馬鹿にするのにもほどがあるだろうと切れそうになる。これではとても東郷の思いは届かないだろう。集団的自衛権を持ち出す前に、やることはいっぱいあるはずなのだ。ウクライナも真剣に取り組むべきである。通常の外交努力を捨て置いて、空疎で危なっかしい野心のみを突き出してくるのはいい加減にしてほしい。ここは公明党が与党離脱を覚悟すべきである。

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