「その木々は緑」

 詩人・覚和歌子の詩集を手にしたのは、04年金沢・玉川図書館であった。A4版で大きく、詩歌のコーナーでは目立っており、その言語感覚に不思議な魅力を感じた。そんな記憶が蘇ったのは、全日本合唱コンクールの報道記事(朝日新聞10月27日)。何気なく見ていたら、課題曲「その木々は緑」作曲家・横山潤子へのインタビューで、その歌詞は覚和歌子に書き下ろしてもらった、とある。横山は子供の時にヤマハ音楽教室で学び、広島大付属高校から芸大作曲科に進んでいる。60年生まれだから、円熟期に入り、尖った才能も丸みを帯びてきているのだろう。作曲家などとは無縁の世界に生きていると、珍しい人種に見え、興味津々だ。門外漢の枠を出ないので、頓珍漢な論評は許してもらいたい。

 彼女は続ける。「言葉って、組み合わせでこんなにもキラキラするものなのですね。この詩をもったいなくしないように、と思って曲をつけました」。詩を自分のイメージで捉え、楽譜に落としていく。「その木々は緑」の譜面には部分的に緩急を表す矢印を付けている。合唱に親しむ人たちには、まず詩の世界に遊んでほしい。聞き手に詩が伝わるようイメージ豊かな歌い方で、非日常に脳内トリップする楽しさ、言葉のニュアンスと音をうまくより合わせる楽しさを味わってほしい。

ユーチューブで早速聞いてみた。こんなメッセージを感じ取った女子高校生は澄んだ声でハモっている。心が洗われるというのはこのこと。もっと臨場感あふれる、迫力ある合唱を聞きたいという欲求は募る。しかし、そんなニーズを捉える試みが既になされていた。イオンシネマでの「合唱ライブビューイング」で10月26日高校生の部、27日中学生の部とあった。つまり、ここでしかない熱き歌声を、実況中継で流している。父兄、後輩などに加えて、ただこの合唱が聞きたいという層が有料の劇場に足を運んでいるのだ。このコンクールがいかに広く支持されているか。知らなかったでは済まされない、大きな落とし物をした気分である。

 一方、覚和歌子はどうか。これも61年生まれだから、横山とは同期コンビ。早大文学部卒業と同時に作詞家デビューしたという、あふれる才能である。31年先輩の詩人・谷川俊太郎に憧れに近い感情を持っていて、馬が合うという関係だ。覚和歌子の詩には、行分けや、句読点がない。永遠に続くのではないかと思うリフレインが物語のように展開し、心地よく響くのが特徴だ。谷川の評だが、物語につかまえられながら、同時に詩をつかまえようという野心家だという。

 もうひとり挙げておかねばならない。俳優というよりも今では彫刻家で通る結城美栄子だ。これも馬が合うのだろう。詩集「ゼロになるからだ」(徳間書店)では結城の作品が章ごとに使われている。黒部市と宇奈月町の境界にある古民家を活用したヤスコハウスは今年で15周年だが、結城の陶芸展と覚の朗読会を開催している。数年ぶりで店主の能登恭子に電話をした。永年の俳句仲間であるが、その文化レベルの高さに今更ながら敬服していると伝えた。 

 音楽に関しては苦い思い出しかない。中学の時にどういうわけか、男女各4人で構成する合唱グループに選ばれた。苦痛の日々で、音楽教師の篁さんにこっぴどく叱られた記憶がいまに残る。そんなトラウマを取り戻すべく、来年は合唱ライブビューイングに挑戦しなければならない。

 

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