東大闘争と在宅医療

 「50年前のあの日、わたしは・・」で語りだす医師たちは、在宅医療の地平も切り拓いてきた。50年前の1月19日、東大安田講堂にバリケードを積み重ねた現場に居合わせた医師たちである。その彼らが安田講堂を会場に、NPO法人在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク主催の「2019団塊・君たち・未来」シンポを開いた。思えば東大闘争は医学部が発端であり、象牙の塔の中で研修医の人権などまったく意に介さない権威主義に反旗をひるがえし、大学で学ぶ自らの特権も厳しく問うた闘いであった。時計台から最後のメッセージを語った今井澄は退学処分を受け、30歳でようやく医師免許を取得するや、地域医療に取り組み、諏訪中央病院長、参院議員で活躍した。あとを継いだのは鎌田實である。諏訪中央病院は今や102人の医師を要する大拠点になっている。また震災の惨劇を目の当たりにして、安田講堂立てこもりの3人の医師が中心となって「ふくしま再生の会」を立ち上げ、飯舘村で活動している。医師という権威にすがることなく、いざ大衆の中へと突き進んでいくベンチャーといっていい。世襲型の医師ではなく、工学や文系から転じたという医師も少なくない。

 このメンバーの中に新田國夫もいる。彼は早稲田大学商学部での1年先輩で、早大闘争の先駆けを担い、当然安田講堂にも馳せ参じていた。運動に挫折した彼は医学を目指す。どんな葛藤があったのか知る由もないが帝京大学医学部に入学し、79年医師に転じた。その後国立市で開業し、74歳の今は全国在宅療養支援診療所連絡会会長を務めている。

 今井澄は残念ながら63歳で亡くなった。02年に胃がんの病床で綴られた著書「理想の医療を語れますか」を引っ張り出してきたが、医師と患者の意識改革と関係改善を真っ先に挙げている。病院や医師の特権的なものをかなぐり捨てることで、患者との対等な関係を築くことも。留置所に内科の本を持ち込み、外科から転じているのもいい。厚労大臣にしたかった男である。

 さて、この安田講堂シンポを知らず、悔やんでいたが、新田國夫医師が参加するシンポジウムがあると知り、参加を申し込んだ。2月28日午後7時から、大手町日経ホール。テーマは「地域包括ケアネットワークにおける在宅医療と救急医療の重要性」で在宅の新田医師に、救急の横田裕行・日本医科大救命救急センター長が加わった。要約を記す。

 今や人生は、生老病死という平板なものではなく「生・病・老・介護介護介護・死」。平均寿命と健康寿命の差が男性9年、女性12年。その間介護が必要だということ。入院は自立して生きる力を削ぐことになる。家族形態の変化、人口減少社会、超高齢化での社会のひずみ(孤立と格差)は想像以上で、過酷な状況をもたらすことは確実。つまり老人独居、老老ふたり世帯の増加は医療だけでは救えない。「治す」から「支える」になるが、生活レベルの互助支援が不可欠で、カルテ以外の情報が決め手になる。公的な支援も惜しんではならない。救急外来でも半数以上が65歳以上の高齢者で、自宅、施設での転倒、転落などが多い。現場で最も困るのは血液サラサラと呼ばれる抗血栓薬などを常用されている人が多く、その確認に時間が取られること。お薬手帳などの情報共有などが急務。

 道遠し、と嘆いていても始まらない。南伊豆町では80歳代が中心となってワーキンググループを作り、自ら高齢化を乗り切ろうとしている。テーマは語っている。「団塊」が「君たち」にどんな「未来」を残していくのか。東大闘争を担った男たちからのメッセージである。

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