沖縄のこと

翁長雄志沖縄県知事の胸中を思うと、何のこれしきと励みになる。守りに入っている団塊世代に、この年齢で国家権力に挑んでいるんだ、小さな勝負でも挑んでみるべきだろう。年金でやっていけねぇなんて、甘ったれるんではない。辺野古に来て、機動隊の前に立って盾になってみろ。沖縄のおばぁと一緒に「殺せ!」と叫んでみたら、どうだ。そして琉球王国時代、1879年の琉球統合、琉球諸語の使用を禁じた同化政策、20万人もの人が犠牲になった沖縄戦の悲惨さ、犯罪の多発さに象徴される戦後沖縄統治の過酷さをいま一度その歴史を学び直してみたらどうか。翁長の背中はそんなことを語っている。
 「辺野古容認への転換はあり得ない。翁長さんが転べば、県民の尊厳は回復不能となる。知事がそれを一番自覚しているはずだ」。琉球新報・松本剛の見立てであるが、自らの将来は自らの手で決めることができなかった沖縄の近現代史への造詣の深さ、その不条理解消に挑む強固な意思、沖縄アイデンティティに根差した語彙力は群を抜いていて、彼の情報発信力の大きな土台だと指摘する。最近口にするのは「身を捨ててこそ、浮かび瀬もあれ」。彼の生年は1950年で、65歳。これからの辛苦を思うと、同世代として座視しているわけにはいかないだろう。辺野古基金への1万円寄付で免罪されるわけはない。
 想像を絶するハードルが立ちはだかる。しかし、沖縄の民意は2014年の衆院選で明らかになったように沖縄1区では日本共産党の赤嶺政賢、沖縄2区では社会民主党の照屋寛徳、沖縄3区では生活の党の玉城デニー、沖縄4区では翁長と同じく自民党を離党した無所属の仲里利信が自民党候補を破り、辺野古移転阻止を明らかにした。恐らく今後すべての選挙でもその民意は確固たるものになっていくだろう。
 沖縄県の辺野古埋め立て取り消し停止に抗して、国が代執行を行うというが、代執行と聞いて、成田空港の反対同盟を思い起こした。成田問題では、労働経済学の隅谷三喜男を中心とした隅谷調査団が円卓方式でのシンポを開催し、経済学者の宇沢弘文が社会正義に適った解決の途を何とか見出した。成田同様、国家権力に挑んでいることに変わりはないが、日米同盟という外交も意識せざるを得ない複雑さを抱え込んでいる。ここは大きな視野で問題解決の糸口を見出す米国にも通じた知識人集団を出現させてもいいのではないだろうか。ワシントンに構える猿田佐世が事務局長を務める新外交イニシアティブにぜひ担ってもらいたい。ジャパンハンドラーに対抗する知性として、ぜひその実力をみせてほしい。
 それにしても思い出されるのが鳩山由紀夫の「少なくとも県外」という公約である。外務省、防衛省の官僚機構がすべて面従腹背で、その情報操作に巻き込まれ、あっという間に頓挫してしまった。この轍を踏まないということは、首相という権力をしても動かせなかった官僚機構とも対峙しなければならないということだ。そのトラウマを抜け出すべき民主党の沖縄研究会の細野豪志が31日、「研究会として辺野古が正しいかを検証したい」と述べ、党の沖縄政策を再検証する考えを示した。
 民主党の動きをみているととても覇気を感じない。自民が右翼に偏って、保守のど真ん中が空いているから、その保守に居座るという細野の政治センスはナンセンス。現場現実をみれば、思い切ってリベラルに舵を切るしか民主党の生きる道はない。いまさら党利党略はない。どれほど国民の期待を裏切ってきたか。そう肝に銘じるべきである。岡田克也よ、民意に殉じて、勝負に出ることだ。恐らく最後の勝負であろう。

© 2024 ゆずりは通信