フー老、世界に遊ぶ

どっこい生きてる、そんなに簡単には死ねるもんか。そんな感じでその人は<フー老>と称して再びあらわれた。1925年生まれだから79歳。型にはまったまじめな学者ではないと思っていたが、これほど面白い人とは思わなかった。かく老いたいものだと思う。
 「フーテン老人 世界遊び歩記」(岩波書店同時代ライブラリー)。しばらく名前を見ないと思っていたら、海外を放浪していたらしい。とにかく東大を出ているが英語が出来ない。太平洋戦争真っただ中が学生時代。敵性語だからと、高校入試でさえ英語が外されていた。まあ中学のジャック&ベティに毛の生えたような実力ではないかと推察している。しかし、これで海外ひとり旅を楽しんできたのだ。
 アメリカでの話。床屋に行って、前髪にハサミを入れられそうになった時に、「短くしないでくれ」のつもりで「ドン・タッチ!」と叫んで、「さわるなというなら、どうして来た。帰ってくれ」と追い出された。床屋がそういっているんだろうと思ったらしい。電気屋で「バッテリーをくれ」といったら、怪訝な顔をされ、手で乾電池をつまむと「バタリー」と初めて知り、銀行のATMの前で辞書を片手に汗だくでやっていたら、20人くらい待たせることになり、後ろの青年に手助けして貰い、やっと100ドルを手にした。「デポジット」が金を預けることとは知らなかった。空港のアナウンスが聞き取れず、飛行機に乗り遅れることもしばしば。イタリアでは鞄をひったくられて、パスポート、全航空券、クレジットカード、ドル紙幣、カメラなど一瞬のうちに失っている。本人は冷や汗だが、読む方は抱腹絶倒まちがいなし。英語コンプレックスの人にお薦めの本だ。
 しかし、このフー老、ただものではない。日本近代史、特に明治をライフワークとする歴史家なのである。初めて自由民権の先駆けとなる秩父困民党事件を教えてもらった。何も歴史は明治の元勲達だけが作ったのではない。太閤記の出世物語に胸躍らせ、NHKの大河ドラマを欠かさず見続けた単細胞に、がつんと警告を発してくれた。余談だが大河ドラマでは天皇制と民衆蜂起はタブーなのである。こんなエリート史観に真っ向対決してきたのだ。小気味がいい。しかし、このフー老は、歴史家なのか、小説家なのか分からなくなる時がある。最も思い入れのあるのは、困民党・井上伝蔵の生涯。農民の窮状を見かねて、妻子も何も打ち捨てて武装蜂起に加わり、死刑判決を受ける。しかしこの義侠の男を民衆は見捨てない。2年間土蔵の中にかくまい、村民の誰一人密告することはなかった。その後、北海道に逃げる。そこで名前を伊藤房次郎に変えて、開墾をし、文具店を開き、人望を得て、所帯を持って子もなしている。といっても戸籍がないので入籍できなかった。妻でも聞いてはならぬことと思われていたらしい。本人は俳句に遊んだりもしている。そして死ぬ10日前に、枕辺に家族に呼び、自分の過去を話している。井上伝蔵にとって、余生ともいうべき北海道の30年余は何だったのか。フー老は必死に歴史家たろうとして、彼に足跡をなぞっている。これが来年秋に映画化されるという。「草の乱」。120年前の日本に凄いやつらがいた、秩父事件120周年記念と題している。楽しみだ。
 フー老の本名は色川大吉東京経済大学名誉教授。北村透谷論も圧巻であり、自分史をはじめて用いた人でもある。そして、とにかく面白い人だ。英語での笑い話といえば、いまリハビリに励む長嶋茂雄。I live in TOKYOの過去形はと問われてI live in EDOと答えたというのである。小生もそのレベル。
 この年度末にきて、友人の会社が更正法を申請した。十年前までは青年ベンチャーともてはやされた。世の盛衰はあっという間に転変する。気が重い。でも、彼は挑戦しただけ素晴らしいと信じている。手をこまねいて、時に権力の片棒を担ぎ、既得の権益にしがみついている小生をはじめとして、彼には何もいえない。恥ずかしい限りだ。失意のときこそ泰然と、願っている。

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