東京都がおかしい

石原東京都政はまるで戦前回帰を目指すかのように猛威をふるっている。時代錯誤としか思えない、しかも教育現場で。都立銀行設立ぐらいなら、カネで済むが、これはそうはいかない。
 何と東京都教委は、170人余りの教職員を戒告とし、5人の嘱託教員の契約更新を取り消す処分をした。理由は都立高校の卒業式で国歌斉唱時に、起立しなかったり、退席したからだという。式を妨害したり、混乱させたわけではない。もちろん伏線はあった。昨年10月23日に都教委は通達を出している。都立学校に対し、卒業式、入学式などの学校行事を行う際の国旗・国歌の扱い方を細かに定め、「服務上の責任」が求められるとした。当日には指導主事ら都教委職員4~8人が来賓として派遣され、君が代斉唱に臨む教職員の態度を監視もしている。反抗は許さない、恐怖の見せしめ効果を狙ったもの。戦後60年というのに何にも変わっていない、情けない。
 そして、4月2日の朝日新聞の社説「甲子園とは話が違う」。朝日はこれまで2度、国旗・国歌の強制に反対する社説を掲げている。これに産経新聞が「そうまでして国旗・国歌を貶(おとし)めようとする論調は、なんとも悲しい」と、読売新聞は「甲子園では普通のことなのに」と名指しで批判した。これらに応え3度目で「どうしても嫌だといっている人に無理やり押し付けるのは、民主主義の国の姿として悲し過ぎる。私たちはそう言っているのだ」とやり返している。読売・産経対朝日の構図は、これに限らない。心配するのは、この対立をうまく利用しようとしている権力がいること。実際に小泉は、高校生が集めたイラクからの自衛隊撤退を求める請願署名を受け取った時に「学校でもっときちんと教えなければならない」と憤然とした。ここまできているのである。
 一方、この踏み絵行為の前に何とかならないかと立ち上がったグループがある。この1月30日に東京地裁に、都と都教委を相手に「国歌斉唱義務不存在確認請求訴訟」なるもので提訴した。指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務がないことを確認するというもので、都立学校の教職員228人が原告である。原告のひとりは「真面目な教員ほど『軽くかわす』ことができないのです。子どもとの関係でごまかしの生き方を教えられないから」と話している。
 何と、けさ4日。朝日新聞に4度目が掲載されている「産経社説にお答えする」。読売も編集手帳でやりあっている「教師の職務上の責務であり、処分は相当」。これは異常であるが必要なこと。不毛な感情的なものとせず、ひとり一人が考えてみるきっかけになればいい。若い悩める教師の顔を想像して、論議が巻き起こしてほしい。
 今ひとつ。良心的な教師たちは悩んでおり、孤立している。教育委員会や校長のいいなりになっている教師よりも、悩める教師こそ学校を、生徒を救ってくれる。そう思いませんか。のっぺりとそつなくこなし、なによりも人間性をまったく感じさせない教師に何ができるでしょう。そして深刻なのは、通り一遍の教師受難の時代で片づけられないほどに、教育現場がすさんでいる。心の病で休職した教師は2002年度で2687人。恐らくその予備軍は10倍になるのでは。つらいのは、孤立した支え合いのない職場環境、つまり職員室が暗くよどんでいて、小心な校長、教頭がせかせかしている。やたら報告書などの書類作成が多く、パソコンに向かったままで、同僚といえどもちょいとと話しかけられない雰囲気なのだと想像する。老体でこんな現状を知るとほんとうにつらい。しかし、「教師がつらくなった時に読む本」などの著者でもある諸富祥彦明治大学助教授が「教師を支える会」を設立しているという。これこそ市や町で作っていかなければならない。
 そして親たちよ!検便を忘れた子の親からの電話。「かばんの中に入っていました。何でかばんの中を調べないんですか」。教室の窓ガラスをたたき割り、友達に怪我をさせた子の親。「うちの子を怒らせた子たちのほうには、責任がないんですか」。そんな電話を取る教師のこともちょっとは考えてもらいたい。

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