一期は夢よ。

一期は夢よ、と臆面もなくいう男の気障さ、浅薄さ。どうも鼻持ちならない。加えて、母親に溺愛され、いい年になっても小遣いをもらう。また姉は男勝りで、生活力旺盛で野心的。この姉の庇護のもとで、パリ、スペインなどの滞在を通して絵の才能を開花させていった。甘ったれで、さみしがり屋で、金と女にだらしなく(おっと、これはお互いさま)、そのうえ破滅願望が強く、ナルシスト。自殺狂言をたびたび犯し、ついに自らの命を絶ってしまった。昭和60年のこと。57歳。今年が没後15年。しかし、その作品は妙に心のひだにからまってくるのである。男の名は鴨居玲。

Camoy 1928―1985。It was All a Dream。

3月25日。その日が富山での鴨居玲展の最終日。県民会館に滑り込んで見る事が出来た。見よう見ようと思いつついつも最終日になる。旧臘の近代美術館の「金山康喜展」もそうだった。どうもぎりぎりにならないと何もしない怠惰さが今に続いているようだ。

昭和3年金沢生まれ。といっても以前から知っていたわけではない。やはり下着デザイナー鴨居洋子の弟といわれて、そうなのか、と思わず肯くレベルなのである。もちろん作品を眼にするのははじめて。「暗いトーンの中でわずかな光でリアルに表現する」というが、何が描かれているか眼を凝らさないとわからない作品もある。しかし不思議に訴えてくる。スペインの名もない人物の作品群がいい。「酔って候」の酔っ払い。「踊り候え」の老人、「出を待つ」の道化師の表情、しぐさがいい。庶民の持つ生命力への憧れ、共感、羨望がないまぜになっている。その日は不思議な余韻を抱えつつ、図録を購入して帰路についた。

その1週間後、東京へ出る機会があった。銀座ソニービルの隣にある日動画廊。ふらふら歩いていて引き寄せられるように入る。ぐるりと一周したところに鴨居玲の画集、図録、自伝など並べられているではないか。手にしたのが瀧悌三著「一期は夢よ」。鴨居の自伝もの。日動出版からの刊行だ。ここに来てはじめて、日動画廊社長の長谷川徳七が鴨居の最大の支援者とわかる。何回も何回も500万円を無心している。

画家が世に出る時とは。またまた通俗な話題になってしまうが、才能、努力もあるが、出会いの運みたいなものは欠かせない。

鴨居の場合、まずは父親鴨居悠の存在。毎日新聞を経て北国新聞で活躍、特に芸術家との交際が深い。玲が師事することになる宮本三郎もその縁だ。そして戦後の芸術再興運動の中で金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)が設立され、彼はそこに学ぶ。金沢の土壌なるものが大きい。次にやはり姉の存在。鴨居洋子の個展が大阪日動画廊で開かれたのが昭和40年。その時「うちの弟も絵描くんよ。ヨーロッパから帰ってきたところや。絵、見てやって頂戴」の一言が扉を開いたといっていい。そして美術評論家、坂崎乙郎の存在。彼の鴨居評が新聞に出て脚光を浴びるきっかけを作った。二人は同い年。加えてアトリエがほしいの、車がほしいのとの甘ったれた要求に応えた日動画廊長谷川社長。

彼にしか描けなかったのか、それともDNAに刷り込まれたものが偶然の刺激を受けて彼をして描かせたのか。人と作品との関係を考えると、不思議に思えてくるものがある。やはり、人格より作品なのだ。

なお、この自伝でわかった事だが、パリ在住の鴨居が、同じく自殺した金山康喜の作品をパリの画廊から集めて東京へ送り返す手伝いをしている。接点があったのだ。金山康喜は1926年大阪生まれ、旧制富山高校で美術部に属していた。東大、パリ留学で経済学の傍ら描く。青のリリシズム(叙情主義)と呼ばれ、静物画の中で青を追求している。33歳で急逝。綿貫民輔夫人がその妹さん。

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