山陰紀行

 山陰のイメージは吉永小百合の「夢千代日記」である。山あいの鄙びた温泉宿というところであろうか。亡妻が同じ下宿で親しかった友人が鳥取出身ということで聞かされた「貝殻節」もそうだ。10数年前に石川県立音楽堂で、太鼓の林英哲とピアノの山下洋輔がこれを演奏したのだが圧巻であった。島根、鳥取がさだかでないのだが50年ぶりの山陰である。

 9月27日岩国基地を後にして、日本三大名橋のひとつ錦帯橋を見学した。1673年創建とあるから江戸の初期だと思うが、これだけの橋梁建築技術を持っていたことに感嘆する。背後の山上にみえる城郭との対比がいい。山口県庁もある街中の湯田温泉に宿泊したのだが、ロビーにどういうわけか宮本三郎の絵が5点も飾られていたのには驚いた。金沢出身の画家で金沢美大の創設にも関わり、鴨居玲の恩師でもある。帰富してその話をすると、その旅館の経営者は相当の目利きで、戦後すぐの購入だと思うが凄い額になっているはずだと聞いた。

 翌日は国宝の瑠璃光五重塔から始まったのだが、周防大内氏の隆盛と対馬・宋氏を通じた貿易の富がこんな形で残っているのだ。1442年の創建というが、京都に引けを取らない。秋吉台のカルスト台地は、その大地ののびやかさは実に心地の良く、秋芳洞も数万年の地球の鼓動を感じさせた。たまたま遠足できていた小学生と「富山はどこ?」と話が弾んで楽しかった。バスの窓外に目をやっていると、長門市三隅町に差し掛かった交差点で、香月泰男美術館の案内表示が見つかった。そういえばシベリア抑留のあと、この三隅に居を構えて描いていたことを思い出した。ここでひとり降りて、あとからタクシーで追いかけることも思いついたが、気障なふるまいと思い直した。

 きょうの観光メインである「金子みすゞ記念館」は同じ長門市の仙崎という良港のそばにある。彼女が店先に立ったという金子文英堂がそのまま記念館として生かされている。この時代の本屋は帳場には帳簿が残されており、文藝春秋1冊誰それと買っていった人の名前が記されている。すぐに思い浮かべる詩は、わたしと小鳥と鈴と 「 みんなちがって みんないい」。これを小錦がEテレの日本語で遊ぼうで歌っているのだが、番組の抜群のセンスに驚いたことを思い出した。市の直営だが、さわやかな展示で心が洗われる。幼子を遺して26歳でみすゞは自死するのだが、やるせなさがここでも心底たぎってくる。金子みすゞの詩は長らく忘れられていたが、岩波文庫「日本童謡集」の「大漁」を読んだ詩人の矢崎節夫が、弟が手元においていた遺稿をみつけ、84年に「金子みすゞ全集」を出版するや瞬く間に有名になったのである。

 それから萩に向かったのだが、あまり気が進まなかった。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」という幟や表示がやたらと多い。8県11市にわたる登録で、前川・元文部次官によるとここでも忖度が横行して強引に世界遺産登録に持ち込んだらしい。祖父である安倍寛は「いま松陰」と呼ばれることもあって、アベクンは自分のルーツを吉田松陰及び明治維新の元勲になぞらえて、その域の人間だと思い込んでいる。萩の城下町も松陰神社もそう思ってみると、味気なくなってきた。宿泊の萩本陣はいい旅館であった。翌日は津和野だが、「男はつらいよ寅次郎恋やつれ」のロケ地であり、吉永小百合が図書館勤務している情景が眼に浮かぶ。三日酔いのフラフラした状態で、鯉の泳ぐ水路を巡らした城下町をゆっくりと散策した。

 9月27~29日の旅は民進党崩壊のニュースを追いかける旅でもあった。いま告示を前に、立憲民主党が大躍進するとの観測記事に快哉を叫んでいるがどうか。4年9か月の安倍政権にみんなが飽きているという自民党の内部調査が明らかになっている。同じ手口で国政5連勝を許しては、それこそ選挙民のレベルが問われるというもの。明確にしておきたい。立憲3野党を市民の立場で支持共闘していく。

© 2024 ゆずりは通信