太鼓たたいて笛ふいて

大竹しのぶが涙を流し、あたり憚らず鼻水を垂らす。気合十分の演技を3メートルの至近距離から見ることが出来た。一昨年「奇跡の人」でヘレンケラーの家庭教師サリバンを演っていたが、彼女にはひたすら打ち込んでいるという清々しさがある。恐らく大女優になっていくに違いない。今回は林芙美子である。ご存じ「井上ひさし・こまつ座」公演。新宿南口・紀伊国屋サザンシアター。450人の中劇場。満員御礼売り切れご免とある。しかし電話をしてみると、通路に30席用意しました、当日開場1時時間前に発売するとのこと。これも神の思し召し。そして補助席の一番前に座ることに。「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」林芙美子の生涯を描く。

幕が開く寸前に、ステージ真下にあるピアノにピアニストが席に着く。得意の音楽劇だ。「ひょっこりひょうたん島」以来の宇野誠一郎の独壇場。彼は戯曲を読み込み、毎日稽古場に通い、俳優の言葉を聞き、演技を見て、おしゃべりを交わし、自分の肌で感じたものを音楽にしていく。演出の栗山民也いわく、とても繊細に掘り下げた解釈でわかりやすい心に届く旋律となって、ドラマ全体を包み込んでいくという。セリフを音楽に乗せることによって、魂への浸透力をより増していくことは事実。2時間45分の長丁場、出演者は6人。膨大なセリフに加えて、歌唱力が求められる。何より別名・遅筆堂なる井上ひさし。原稿が出来上がったのが初演10日前とか。稽古1ヶ月でもおぼつかないと思うボリュームである。

昭和5年「放浪記」がベストセラーに。これで一躍文壇に躍り出た林芙美子。貧窮のドン底からようやくにしてつかんだその地位だ。金銭欲、名誉欲、そして心身すがれる異性への渇望と、それらを一挙に手にしたように思われた。そのピークに戦意高揚にと戦争従軍記者となり、上海、満州へと飛び出していく。ラジオ出演を通じて、戦果の報告と戦場での美談が語られるのである。「太鼓たたいて笛ふいてお広目屋よろしく」と戦争を祭りの如く触れ回った。ところが昭和17年インドネシア、シンガポール、ジャワ、ボルネオを回ってから、この戦争の破綻、欺瞞に気がつき、一転反戦作家に転身していく。このどんでん返しがいわば、ひさしマジック。林芙美子の素直さでも。そして脇筋で登場するのが島崎こま子。彼女は島崎藤村の姪。それがあろうことか藤村の子を身ごもる。藤村の「新生」はその苦衷を書いたもの。こま子は芙美子の家に住み込みながら、癒しの期間を得て、戦災孤児の家を作る夢を実現していく。このこま子を演じる神野美鈴が好演だ。母キクを演じた梅沢雅代もいい。こうした脇役陣と本筋を離れた脇筋が、こまつ座人気を支えているのかもしれない。

林芙美子の心身すがれる異性遍歴も紹介しておかねばなるまい。14歳で親しくなった岡野軍一を東京に追いかけていき彼の大学卒業を待つも、家族の反対で破局に。新劇俳優、詩人と同棲を繰り返し、画学生手塚緑敏のもとに転がり込むように結婚(内縁関係)、とある。軽佻浮薄型はねっかえりイメージ。昭和26年心臓麻痺で亡くなるまではひたむきに小説に打ち込む。47歳。葬儀委員長は川端康成。「故人は自分の文学生命を保つために、他に対しては、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと2,3時間もたてば故人は灰となってしまいますから、どうか、この際、故人を許してもらいたいと思います」これがあいさつ。

栄耀栄華を極めようとも、それぞれに哀しい人生なのである。

大学の同級生の奥さんが亡くなって半年。その激励会も兼ねての集まりが東京であった。体験者はお前だけだからぜひに、ということで参加した。それぞれの57年である。

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