批判から創造的自治へ

富山駅前から降り立って正面に立地するCiCビル。CiCはシティ・イン・シティの略称で県都の顔ともいえる。1992年に戦後闇市の名残りを一新することで建設された。正面壁面に新宿二幸にあるオーロラビジョンなるものを新聞社とテレビ局にやってほしいと要請され、その責任者になったことも懐かしい。92年は時代の大きな曲がり角で、バブル崩壊とも重なり、ビルの運営は厳しい試練に見舞われ、10年後の02年民事再生法を申請する事態に陥った。
 そんなことを思い起こさせたのが、CiCビル5階の全フロア866坪の活用を求める富山市の広報。民間事業者の皆様と対話をすることで活路を見出したいという。サウンディング型市場調査ともいうらしいが、5階フロアは民事再生法を受けて富山市が3分の2、富山県が3分の1所有していて、現在富山市の外郭財団が運営している。その財団を解散して、民間へというのが目論見。シルバー・デモクラティストとしては、批判だけではいけない、当事者となればどんな処方箋があるか、その選択肢まで提起するべきだというのが持論。富山市の担当部署に連絡してみたが、やはりというべきか、家賃垂れ流しとなっているという切迫感がない。というわけで怒ってはみたが、お前ならどうすると知恵を巡らすことにした。
 思いついたのはツクルバである。実空間と情報空間を横断した場づくりを実践する場の発明カンパニーと称して、元リクルートの村上浩輝・中村真広が2011年にスタートさせた。ツクルバというチームには、事業プロデュース、広告クリエイティブ、不動産流通、空間設計、メディア運営、編集、コミュニティマネジメント、イベントプランニング、飲食オペレーション、そしてIT領域のエンジニアリングに至るまで、多様な職能のメンバーで構成されている。それぞれが自分の「色」を持ちながら、所属を超えて混ざり合い、「新たな色」を生み出す共創型ワークスタイル。「場の発明を通じて、欲しい未来をつくる」というミッションを共有しているコミュニティそのものであり、社員はそのコミュニティの文化を共に生み出していく。
 絵空事に聞こえるが取り敢えずの仮説を披露したい。一言でいえばシェアオフィスである。ツクルバの手法を見習って、実際の息吹を注入して、実現可能性を模索していきたい。この866坪を私的な企業、個人スペースと公的なコミュニケーションスペースに分けて、企業は5年、個人は1年契約で入居する。その前提で空間をデザインしてもらう。この初期費用は自治体が担う。取り敢えずの年間家賃を2400万円で設定すれば、月200万円となる。企業、個人はそれぞれビジネスプランを提出して、クラウドファンディングで出資を求め、利益が出ればきちんと配当するし、現物での優待でも応える。富山版起業を促すツクルバなるものだが、どうだろうか。
 こんな風に想像を巡らせていると、コンパクトシティ構想なるものの虚妄に気付く。盲点は駐車場である。1日フルに使えば1000円程度は覚悟しなければならない。駐車料金を負担してでも、利活用したい施設があるかどうかを考える。例えば、富山大和であれば2000円以上の買い物が条件となる。富山国際会議場でのイベントでも駐車場でまず頭を悩ます。富山・総曲輪にできたシネコンの苦戦がもう伝わってくる。富山駅前の銭湯・観音湯を廃業し、駐車場に転換した経営者はいままで苦労は何だったのだろうか、労せずして駐車料金がはいる仕組みに驚いていると聞く。さりとてこれだけクルマが普及すれば、公共交通での利用は二重負担にもなりかねない。青森での破綻に続き、富山でもその実態が明らかになってきている。想像以上に少子高齢化が進行し、机上の空論では地方の現実を捉えることはできない。地方創生と称して、国が旗を振る時代は終わった。市民こそが高らかに自治の声を挙げる時だと思う。補助金ちょうだいという卑屈さから抜け出すべきである。シェアリングビジネス、コミュニティビジネス、ITを駆使して、まず貧困の恐怖から解放されるシステムを何とかひねり出していかねばならない。
 卑屈さの伝でいえば、日米安保が尖閣に適用と聞いて小躍りする首相である。マティス米国防長官に卑屈な笑いを投げかけているが、実に歯がゆい限りである。

© 2021 ゆずりは通信