生と性

畏敬する先輩と久方ぶりに酌み交わすことになった。二人ともせっかちなので飲むペースが早い。加えてこの先輩は血圧が高いというハンディを負っている。余り飲ませちゃならないという思いから、向こうが一杯なら、こちらは二杯ということになり、酩酊はあっという間にやってくる。別れ際「お前、不自由していないだろうな」ときた。これはカネのことではない。女房を亡くしてやがて6年、再婚もままならないのかという揶揄である。「死んだ女房の残してくれた独身という自由を満喫しています。ご心配なく」と大見得を切ったしまった。「あれこそ、生きている証だからな」と真顔でいう。千鳥足での道すがら、生と性について愚考してみた。

凄いと思うのはやはり深作欣二。前立腺癌と診断されて、インポテンツの危険がある最良の治療をきっぱりと拒否している。荻野目慶子がその凄まじさを驚嘆しているが、生よりも性を選んだのである。さすが「仁義なき戦い」の男だ。その気魄は「性即ち生なのだ」と誰憚ることなく断言している。ぞくぞくとする男の色気だ。男子たるものかくありたい。初めて出会った深作作品「仁義の墓場」は忘れがたい。

そして気になるのが永井荷風。深作とは対極にあるが、耽美的な叙情性は捨てがたい。娼婦、踊り子といった女性たちだが28人と同棲を繰り返している。その同棲も半年ともたなかったらしい。潔癖であったのか彼の局部はヨウチンでふやけていたという。「断腸亭日乗」もそんな日常の中で綴られているのだが、意味ありげに日付の上にある●印がついている。あの回数といわれている。死の2年前までしっかりと。文化勲章を受け、芸術院会員なるも誰看取ることもなく79歳の孤高の生涯を、荷風はそれを望んでいたかのように閉じている。これも立派な生き様である。

続いてはやはりこの人、寂聴。煩悩に苦しんだ自分自身・瀬戸内晴美にあてた手紙のやり取りで綴ったのが「わが性と生」(新潮文庫)。今東光師僧から得度にあたり、下半身はどうすると問われ、「断ちます」と応えたのが51歳。随分と悔しい表情がありありとうかがえる。最初に引き合いに出しているのが岡本かの子。50歳で死んだかの子が一平と夫婦の性を18年間断ちながら、死ぬまで若い恋人との間では性の現役であった。「かの子繚乱」の取材でその恋人・新田亀三にしかと聞いている。しかも妻妾同居ではなく、逆の夫燕?同居というもの。そんな破天荒がかの子の文学に輝きを与えたとしている。ここがポイントなのだが、性の中に秘められた生命宇宙の摂理みたいなものに自らの身をゆだねる。そして小さな小賢しい自分を突き抜けていく。そんなエネルギーを性なるものが持っているらしいと説いているのだ。どうもいかがわしい宗教と混同してくるのが厄介なところである。

そんなことを思いつつ歩いていると、あっという間に家に行き着いた。おかげでビールを1本、ひとりしみじみと飲むことになってしまった。はてさて人間というのはつくづく厄介なる動物である。

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