同時代の空気

小さな季刊雑誌だが、ものすごいエネルギーを感じた。一度紹介したが「myb」みやびブックレットの秋季号。「同時代の空気 日本の明日」なる特集で60名の作家・編集者からの寄稿をまとめている。圧巻といっていい。04年三省堂を退職した後に、みやび出版を個人で立ち上げ、ひとりで編集している。大学時代に多少かかわりを持った出版事業研究会の伊藤雅明だが大きな拍手を送りたい。手にしている今号は10年を経ての集大成ともいえるが、更に新展開をすると宣言している。もちろん定期購読をしているし、原稿も書かしてもらっているが、これほどの人脈を持っているとは知らなかった。表紙デザインは南伸坊で、宗教学者の山折哲雄は「myb」はひとり芝居のようで、普段着の身のこなしで鬼気迫る演技と評している。
 さて、その一部を紹介する。作家・秦恒平は悲劇の度は地獄に同じだろうと予測する。政治と外交と軍事をこんど一度謬(あやま)れば、沖縄は台湾に、九州四国は朝鮮韓国に、西日本は中国に、東日本はアメリカに、北海道はロシアに“分け取り”にされ、日本という国家は失せかねない。上野千鶴子は、まさかこんな世の中になるとは思わなかったと懺悔する。若い娘たちが出て行く先がこんなにも女に不利な社会であることを、座視したわけではなかったけれど、抗議しなかったわけでもないけれど、変えられなかった非力を詫びるしかない。ごめんなさい。情報学者の西垣通は大学院生を前に慨嘆する。「広島と長崎に原爆落とされちゃったし、日本はどうも原子力と相性悪いね」「誰が落としたんですか」「え、何を言ってんだよ、キミ。日本はアメリカと戦争したんだろ」「へえ。で、日本が勝ったんですか」「・・・!」。戦後教育は完全に失敗したと確信したくなる。教育改革と称し、教育現場に介入しようとしているが「失敗」を「成功」と再定義することなのでありましょうか。老ジャーナリスト・むのたけじは静かに諭す。万事に小さくて弱いもの、軽くて低いもの、少なくて細かいものなどを丁寧にみつめて大切にしよう。すると、活路がきっと光り輝いてくる。小さなものバンザイ。弱いものバンザイ。精神分析学者の岸田秀は内弁慶の日本を憂える。韓国の歴史は強い国に迎合を強いられた苦難の歴史、傷つけられた誇りと恨みの歴史である。日本の政治家は、戦後も、そういう韓国人の屈折した心情に無知無理解で、慰安婦の問題にしても、賠償や謝罪の問題にしても、適当に相手の言い分を聞いてやって軽くあしらっておけば、それで済むと思っていたらしく、それが韓国人の屈辱の怒りに油を注いだことに気がつかないで、何やらわけのわからぬことにネチネチ、クドクド文句を言っているだけだ。「ひとりから」の編集発行を続ける原田奈翁雄の糾弾の声はますます鋭くなる。日本の侵略などなかった。従軍慰安婦などいなかった。大陸で、ジャングル、孤島で飢えと病いに死に絶えた兵士たちは、天皇とその国のために命を捧げた神々だ。われわれは強大国家として「積極的平和」のための戦争だって辞さない。もちろん核も原発も。安倍普三という幼く思い上がった狂信者を政財界こぞっておだて上げる。「戦前戦中」と「戦後」ののっぴきならぬ対決、そのただ中に立つ。
 ひとりでもこれぐらいに覇気を示すことができるのである。それに比べて最近の読売新聞の品性の無さはどうだろうか。朝日の誤報をこれでもか、これでもかとあげつらって紙面の相当スペースを割いている。社内ではどんな論議がなされているのだろうか。ナベツネ天皇に息の根まで止められている社内の重苦しさが見えるようだ。

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