遅咲きがいい

「慶次郎にとって人生は簡単であろう。好きな時に寝、好きな時に起き、好きなことだけをして死ぬだけである。誰もが望み、誰もが果たせない望みだった。何故誰にも出来ないか。一切の欲を切り棄てなければならないからだ。あらゆる欲とあらゆる見栄を棄て去り、己れの生きざまだけに忠実にならなければ慶次郎のように生きられない」。
 隆慶一郎が「一夢庵風流記」で描き出した前田慶次郎である。戦国末期、加賀前田に連なり、歴史書の中で数行しか残っていない記録から想像を広げていった。巻末に氷見市の能坂利雄を資料集めのために訪ねている、とあるのもうれしい。更に続く。「それだけではなかった。慶次郎のように生きるには天賦の才能が必要だった。文武両道にわたる才であり、中でも生き抜く上での才である。或いはこれを運と云うことも出来よう。運の良さも才能のひとつである」。
 気が滅入ってくると、手にしているのが隆慶一郎の時代小説である。心が作品と共振し合うのは、隆が60歳から小説を書き始めたことにある。「ようやく書きたいものが書けるという感じで、ためていたものを一気に吐き出すように原稿用紙に向かっていた」と長女の羽生真名。資料集めの手伝いをしていた。それまでにない奇想天外な作品20点を残し、66歳で肝硬変のために世を去っていった。「吉原御免状」「影武者徳川家康」「鬼麿斬人剣」「かくれ里苦界行」「捨て童子・松平忠輝」「花と火の帝」だが、未完のまま終わったのも7作品ある。未完の「死ぬことと見つけたり」は15話で終わっているが、シノプシス(梗概)が遺っている。入院先の東京医科大学病院で書き綴っていた。それほどの執念で命と引き換えに絞りだしていた。
 東京大学仏文科時代に学徒出陣。旧満州から本土部隊に編入され、終戦後、東大に復学。東京創元社の編集担当重役もしていた小林秀雄と出会い、同社の編集者になる。折から恩師・辰野隆の定年退官パーティの席上。「先生のところで働きたいのですが」「いいよ。明日からおいで」こんな簡単な会話で終わっている。心に期するものある男は多くを語らず、またそれを受け入れる男もあれこれいわない。小林に厳しく鍛えられた後に、立教大学講師、中央大学助教授として教えながら、映画の脚本も書き始めた。37歳でシナリオライターとして独立、映画「にあんちゃん」でシナリオ作家協会賞を受賞している。そして60歳で小説家に転身するわけだが、その前年に小林秀雄が80歳で亡くなっている。「怖かった存在の小林がいなくなったので小説を書き始めた」ともいわれている。
 作品のすべてに流れるのが、従来の歴史の裏面に着目した歴史学者の網野善彦や、民俗学者でもあり、雑誌「太陽」の名編集長でもあった谷川健一の視点。これを土台に据えて、ロマンに満ちたストーリーを変幻自在に操っていく。強くかっこいい主人公と「上なし」「道々の輩(ともがら)」といった放浪の民。彼らがぐいぐいと物語に引き込んでいくスタイルは変わらない。
 この1冊で買い込んだ隆慶一郎の文庫本は全部読了したことになる。何となく寂しい気がする。読書の場所として最も気にいっているのが、金沢ひがし茶屋街にある「志摩」。金沢市の文化財となっている江戸期の茶屋だが、庭をみながらカウンターでの抹茶接待がある。BGMに篠笛が流れる。週日の昼中はほとんど客が来ないので、隆慶一郎の世界に浸りきることができる空間となる。見学と抹茶で1100円だが、なじみになったので見学分を差し引いて700円にしてくれる。
 男の生き方かく在るべし。フランス文学を辰野隆に学び、そして小林秀雄主宰の編集会議で鍛えられ、じっとシナリオ作家で耐えて、60歳となり小説家として噴出させた。それはスタンダールとだぶり、ランボオと重なっていく。やはり厚みが違う。学徒出陣、満州での軍隊経験もあって、かく生きたい、という夢が縦横に駆け巡っていったのであろう。
 遅咲きがいい。小生も60歳の沸点を待っているのだが、何の土壌もなければ空焚きに終わる可能性が高い。自業自得というべきであろうか。
 ところで、わが家の老犬コロ。散歩もままならなくなり、「庭でおしっこも、ウンチもしていいんだよ」と声を掛けている毎日である。

© 2021 ゆずりは通信