「笑う東大 学ぶ吉本」

 来し方行く末といっても、老い先はすごく短い。77歳にして、何を思っているのか。チェックしてみるいい機会とみた。標記の「笑う東大 学ぶ吉本」は吉本興業が国連広報センターと連携したSDGs取り組みで、東大に呼び掛けたキャッチコピー。東大生が漫才に挑戦する。このくらいの時代認識で、わが77歳を切っていこうという試みでもある。古代インドの人生論は、学生期・家住期・林住期・遊行期とほぼ25年で区切っている。わかりやすいのでこれに従ってみた。

 さて、学生期だが、やはり幸運に恵まれた。乳飲み子で朝鮮からの引揚に耐えられたのが大きい。闇商売の古着販売から衣料品店という展開が、教育投資のゆとりを生んだ。新湊小の奈呉、舘両先生の中学受験示唆もステップになっていった。この時に獲得した知的好奇心の芽生えが、自堕落となる大学生活を辛うじて救ってくれた。地方紙への就職も編集ではなく、広告であったのが今にして思えば性に合っていた。

 家住期は結婚、仕事と文字通り充実していた。新婚所帯が東京勤務だったのも幸いし、夫婦ともども自由伸びやかで、子供も得て、小さなアパートは千客万来で楽しかった。加えて、各地方紙の友人を得るとともに、電通はじめとした広告のダイナミズムを体感できたのも大きかった。富山に戻って、リクルートに触発された就職情報誌発行がツボにはまり、また系列の広告代理店に籍を得たが、面白いように仕事がヒットした。個人的な発想が自由に展開できる広告業界はありがたい環境であった。

 林住期は唐突な悲劇で始まった。妻が肺がんを発症し、1年余の闘病で急逝した。享年47歳。末っ子が中1でそれなりに気を遣った。職場がローカルな支社に代わり、他から見ると左遷に見えるが、癒しの職場空間で地域の人脈が肌に合った。音大閉校に抗して市民大学を立ち上げ、女性に絞った文化サークル、ケースメソッドを使ったビジネススクールなど培った人脈が生きた。退職も余裕を持って迎え、ブログをもとに本を出版し完売、友人が開発したイムニタスマスクを通信販売化し、そして偶然出会った医師の在宅医療での起業に出資も行い、ほほ7年携わった。

 そして今、遊行期に差し掛かっている。無名無所属で、自立した自由市民といいたいが、無欲枯淡というわけではない。わだかまる欲望が残滓のように引っかかっている。もうしばらく時間がかかるがフェードアウトしていくのは間違いない。一方で自然体を信条としているのだが、人工的な物体や環境への忌避感が異常に強い。わが家にクーラーはない。サプリメントなるものも一切ない。コロナワクチンだけは他人に迷惑を掛けたくないので接種したが、風邪、腹痛、頭痛ともほぼ無縁で自然治癒を基本としている。これがいつまで続けられるのか。やはり、難問として立ちはだかるのは認知症である。家系からして間違いない。

 愚考の結論は、遊行期を突然断ち切る「プラン75」が現実味を帯びてくる。自らを送る手紙を80歳までに書き終えて、愚息にゆだねたい。いや、漫才仕立てにして、笑い飛ばすのも悪くはない。

 

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