建築家への畏敬、羨望

マイホームは高松鋭郎・建築設計事務所に設計をお願いした。30年前のことだが、施主・設計・施工がそれぞれに独立していてこそ、いい家が建つのだと信じていた。小さな個人住宅であっても、それなりに原則を貫こうという生意気さもあり、破格のサービスで引き受けてもらった。かみさんの夢や細々とした注文を次々と形にしていく手際に、いい仕事だなと思った。この設計をもとに3社からの入札としたが、これは形式的なもので行き過ぎだった。念のために管理までお願いした。
 慎重で計画的な性格とみられそうだが、さにあらず。ものぐさで行き当たりばったりの粗雑そのものといっていい。マイホームもかみさんから矢のように急き立てられてのものである。
 こんなことを思い出したのは、「芸術新潮」8月号が丹下健三を特集していて、代表作の国立代々木競技場が表紙を飾っている。いうまでもないが東京オリンピックを象徴し、屋根の勾配は古代寺院を想起させ、いつまでも記憶に残る建物といえる。丹下健三も40歳に自邸「成城の家」を作っている。もちろん我が家とは比べ物にならないが、1階がピロティとなっていて、高床式の正倉院をおもわせる。浮浪者がそこに住みつくではないかという批判もあったが、それでも構わないといい。住宅といえども都市性(開放性)を持つべきだとする理念で、丹下は理念が先で生活は後といい続けた。
 この開放性豊かな自邸には多くの芸術家が集まった。岡本太郎、イサム・ノグチ、柳宗理、瀧口修造などが一晩中飲んで騒いで、起きるとまた宴会を始めるという繰り返しだった。書家の篠田桃紅が成城の家の襖絵を所望されて描いている。「これから、日本に新しい空間を考えていきますから、そういう場所に桃紅さんの作品を入れていきたい」といい、緞張や陶壁などを任せるといって一切注文はつけなかった。 
 さて、もうひとり挙げておかねばならない。マンハッタンのあのテロで破壊されたワールドトレードセンター跡地に高さ297メートルの「150グリニッジ・ストリート (タワー4)が間もなく完成するというが、その設計を担ったのが84歳の槇文彦である。槇は磯崎新、黒川紀章らと並んで丹下研究室で学んでいる。富山県との縁も浅からず、黒部のYKK前沢ガーデンハウスを皮切りに、富山市民プラザ、富山国際会議場が槇文彦の設計だ。東京・代官山にある槇事務所を訪ねたことがある。当時はおおらかな時代で、何気ない思いつきのYKK吉田忠裕社長と世界の槇文彦との対談が実現し、何としても代官山のランドマークとなっているヒルサイドテラスをみておきたいと思っただけの出張であった。高校同期で唯一建築に進んだ盛和子にこの話をしたら、どうしても同行したいと一緒についてきた。印象としては、洗練された貴公子がそのまま年老いたという感じの人だった。
 建築家の資質として求められるのは、卓抜した理念であり、それを貫く唯我独尊的な自信とそれを演出する品性という気がする。畏敬と羨望がないまぜになった仕事でもある。
 金沢21世紀美術館を設計した美術館の建築を設計した妹島和世(せじま・かずよ)と西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)がオープンの時に挨拶したが、実に初々しいものでこれから世にでる若武者という気がした。
 これからの時代に建築家に求められるものはどんなものだろうか。できればもっと新しいおおきな才能を待望したい。
 老人も茶室がほしいと口走ったことがあったが、妄言と忘れてほしい。クーラーのない生活を頑なに貫いているが、熱中症で死ぬ覚悟では、と周囲はみている。今度の年金でクーラーを買いなさいとのありがたい忠告ももらっている。

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