飛鳥へ、まだ見ぬ子へ

不思議なことが起きるものである。12月6日、久しぶりに金沢美術工芸大学を訪ねた。用件が終わってまだ昼には時間があるので、大学の図書館に立ち寄ることにした。さすがに美大である豪華な美術本が並んでいる。書棚にあった粟津潔の「ガウディ賛歌」をしばし眺め、スペインに思いを馳せ、時間をつぶして帰ろうとした時に、新聞コーナーで何気なく手にしたのが毎日新聞。社会面の見出しに「パパの願い届く時」「“まだ見ぬ子”来春結婚」とある。あれから25年が過ぎているのである。 
 覚えている人は多いだろう。25年前、医師であった井村和清が31歳の死の直前までつづったがん闘病記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」。井村は富山県出身。沖縄県立中部病院、岸和田徳州会病院(大阪府岸和田)に勤務し、がんで右足切断後も内科医として働いた。その後両肺に転移し、80年1月に砺波市の自宅で亡くなった。遺稿集は余命わずかと知り、医師として死と向き合う心境、苦悩、残された家族への思いをつづっている。140万部を超えるベストセラーになった。映画にもなっている。
 妻、倫子(みちこ)は彼女の故郷、沖縄県石川市で薬局を営みながら、二人の娘を育てた。長女・飛鳥は1歳半、次女・清子はおなかの中だった。現在、飛鳥は27歳で放射線技師、清子が25歳で薬剤師。二人とも医療の道に進んでいる。倫子は、来春結婚する清子に、初めて自筆の原稿を見せるという。「重い内容の遺稿集が二人を縛り、負担になってはいけないと心配だったから」3人で、井村のことを話すことはなかった。
 実は私事ながら、思い出がある。当時広告の仕事をしていて、この遺稿集を素材に出来ないかと考えていた。浅はかな連想ゲームさながらに、家族、がん、愛と続き、「一番不幸なことはお金がないことです」と書中にある言葉を思い起こし、生命保険協会に照準をあてた。生保レディが、感想文募集のパンフレットを持って、保険セールスのツールにしてもらおうということ。これが二つ返事で、引き受けてもらうことになり、また新聞協会広告賞の初めての受賞につながった。いま思えば、冷や汗が出てくる。
 どうして日頃滅多に手にすることのない毎日新聞を開く気になったのか。独りよがりながら、不思議な縁を感じた一日だった。
 「ただ我死せば、彼等(妻子眷属)如何にして被養を得んと苦慮すること勿れ。此には絶対他力の大道を確信せば足れり。斯大道は決して彼等を捨てざるべし。彼等は如何にかして被養の道を得るに到るべし。若し彼等到底之を得ざらんか、是れ大道、彼等に死を命ずるなり。彼等之を甘受すべきなり。」清沢満之の「絶対他力の大道」(参照・?110)だが、子の将来など何ら心配することはないのである。愚息達は愚息達なりに生きてゆく。ニートであろうと、フリーターであろうと放っておくのが一番。「我等はむしろひたすらに、絶対無限が我等に賦与せるものを楽しまんかな」である。
 “血は母より、骨は父より受け継ぐ”と銘打った「血と骨」をようやくにしてみることができた。暴力と欲望の化身のような主人公・金俊平の「業」の凄まじさに圧倒されたが、ビートたけしが好演だ。やはり彼しか演れないと思わせる。監督の崔洋一は原作を読んだ時から、演れるのはビートたけしと決めていて、すぐに原作本を贈っている。吊るされた豚の咽に刺身包丁を突き刺す一瞬がいい。解体する時の無邪気さとの好対照にほっとする。妻・李英姫演じる鈴木京香も新境地を拓いた。ぞくぞくとするくらいにオモニを演じている。すぐにも大阪・猪飼野へ駆けつけて、そんなオモニがやっている食堂でキムチを食べたい。そんな思いにさせられるいい映画だった。

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