失ってこそ見えてくるもの。石川 准さん

視力を失う。今から30分、眼をつむるもよし、アイマスクをつけてもよし、視力を失った状態で生活を続けてみよう。少なくともこのコンピュータの前では、何もできない自分を発見する。ラジカセのCDを聞くか、万年床に潜り込むか、それぐらいしか思いつかない。住まい慣れた我が家にしても手探りで進むしかない。何もできないことに今更ながら愕然とする。この闇が永遠に続くとしたら………。ちょっと想像するだけでおののいてしまう。
3月7日東京駅。12:00発の「あさひ」7号車で待ち合わせた。相手は静岡県立大学教授の石川准さん。早めにホームに出て、先に来ていない事を確認する。どこからやってくるのか、と見回していると、発車5分前に駅員に案内されて現れた。「石川さん、甲田です」初対面である。彼は15歳の時に網膜剥離で失明している。そして昭和52年、魚津高校から全盲で初めて東大文学部に入学した。その後のフォローがなく、昨年末、視覚障害者用ソフトの開発で通産大臣表彰を受けたことを全国紙で知った。地元紙としていささか面目を失った次第。しかしメンツにとらわれるほどのこともあるまいと、ここは電話よりメールで、と早速連絡をとる。

インタビューと講演の依頼だ。OK。返事の早いこと早いこと。何回かメールをやりとりして詰めていく。こうした場合の繊細な問題は講演謝礼。いつ、どう切り出すか。しかし石川さんはストレートに聞いてきた。アメリカ留学もしているからそうなのだろうと思ったが、心の隅でやはりストレート過ぎるな、との思いが。

右腕か、左腕のひじを、その状況に応じて触れてもらうのがサポートの基本。階段です、みぞがあります、網棚が張り出しています、とかを指示して車内に。その日がすごく混んでいて、座席に並べたのが越後湯沢から魚津までの2時間。

彼は専門である社会学の研究と、視覚障害者用のソフト開発と2足のわらじを履きこなす。石川流にいえば半々ではなく、100%100%でやっていることになる。睡眠時間も、子どもとふれあう時間も惜しんで。晴眼者と伍していく、並々ならぬ意気地が彼を駆り立てるのだ。社会学研究も情報収集が決め手。何ヶ月先になるかもしれない点訳や朗読を待ってられない。本を買うとそれをバラしてしまう。英語の原書も然り。そうしてスキャナー(光学式に読み取らせる)にかけて、音声ソフトで聞き飛ばしていく。もちろん正確ではない。誤訳誤読はしょっちゅうだが、研ぎ澄まされた彼の聴力と集中力にかかると、頭脳の中で修正が自動的に行われる。したがって読書量は凄いと思った。というのは、最新情報もよどみなく出てくる。まったくハンディどころか、情報のバリアはまったく存在しない。

それらのソフトを自力で開発してきたのだ。奥さんの名義でソフト会社を作り、外部スタッフにも頼みながら、まるで時間との競争の如く進めているのである。資金も逼迫している。ここにきて初めて、わずかな講師謝礼でもつぎ込みたいという彼の思いが理解できたのである。既成の組織に寄生同様にして、のほほんと過ごしている者の何と下司で傲慢なことか。恥ずかしい限りだ。

著書に「人はなぜ認められたいのか」(旬報社1800円)。自分が価値ある存在であること、あるいは無価値な存在でない事を証明するために、人生の大半を消費していく。これを「存在証明」と呼ぶ。この存在証明をめぐる熾烈なアイデンティティ・ポリテックス。葛藤、摩擦と訳すべきか。これを障害、民族、人種、性差などを切り口として捉えていこうというのが彼の研究テーマ。著書ではそれが語られている。そして、それは彼自身の存在証明を賭けた闘いでもあるように見える。失ってこそ見えてくるものがあるのだ。

失う前に、こちらから捨て去ってしまう手もあるのだぞ。お前さんにそんな覚悟があればの話だが、と突きつけられているようでもある。

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