「石の肺」

肺細胞に、髪の毛の5000分の1という針のように尖った異物が突き刺さる。空気中を浮遊し、簡単に肺に入り込む。どんな手段でも取り除くことが出来ず、30~40年の長い潜伏期間を経て、肺がん、悪性中皮腫となる。この異物こそ「静かな時限爆弾」、呪うべきアスベストである。
 「ぼくの肺には、永久に光る粉が刺さっている」。作家・佐伯一麦(かずみ)の素朴な語り口そのままだが、ぼくにしか書けないルポルタージュである。「石の肺」(新潮社)。電気工として、屋根裏に這いつくばって仕事をやり、、舞い上がるアスベストをどれだけ吸い込んだかわからない。その後遺症に苦しみ、いつ時限爆弾が破裂するかわからない境遇にある作家の自伝でもある。
 1959年仙台生まれ。高校生の時から小説家を目指した。高校卒業間際に上京、週刊誌のフリーライター、書店員、マンホール清掃員などアルバイトで食いつなぎながら、小説原稿を書いていた。しかし、いつも締め切りに間に合わなかった。その間に結婚、子供も生まれて、家族を養っていかねばならない、小説も何とか続けたいと選んだのが電気工。学歴不問、普免不要に加え、無線、ラジオ作りなどが好きだったのである。親方とふたり、都内中の団地を駆け巡り、外灯や室内灯の修理、ポンプを動かす制御盤の修理改造などを行う日々。84年頃のことで、振動ドリルを使った日は、手が震えてボールペンが握れず、左手で震える右手を押さえながら筆書きで原稿用紙を埋めていた。この年の「木を接ぐ」が海燕新人賞を受賞している。
 アスベストの輸入急増は70年代。団地の建設ラッシュであり、不燃住宅に格好のすぐれた素材がアスベストであった。電気室、ボイラー室、エレベーター機械室などの壁、天井にこれでもか、と吹き付けられた。野放しどころか、消防など監督官庁の積極的な奨励策でもあった。
 佐伯の身体に異変が起きるのは86年。咳が止まらず、熱は40度、痰もひどかった。診断は「慢性気管支炎」。更に1年後には、胸水がたまり、原因不明の「肋膜炎」の診断となる。金がなくて通院である。更に胸の病気が子供に移るのではと、1万円で4畳半を借りて仕事場とする。この頃にサラ金に手を出している。それでも、90年に野間文芸新人賞を、91年には三島由紀夫賞を受けている。これが結果的によくなかった。賞金、印税でまとまったカネを手にして、仙台にマイホームを求めたのである。その新居で、窒息してしまうのではないという発作に襲われて入院。当然、作家専業とならざるを得ない。生活苦から離婚である。生活保護を受けるための偽装ではないかと疑われ、早死にする作家ナンバーワンが佐伯一麦だと噂される。93年には鬱病となり、睡眠薬自殺未遂を起こすまでになってしまう。
 05年6月、クボタは従業員ら78人が、アスベストが原因のがん、中皮腫で死亡していたと発表する。佐伯には「何をいまさら」という思いがぬぐえない。下請けや孫請けで実際にアスベストを吸っていた職人たち、さらにその人たちに使われていて、今は所在さえわからない出稼ぎ、日雇い、アルバイトたちは補償のらち外にあるのだ、との思いだ。
 ルポの迫真は、アスベストの除去作業を手伝ったところだ。防護服に身を包み、シューズカバーを履き、足首をしっかりテープでとめて、現場の7階まで登る。1mの木の棒に10cmの刃をつけて、こそぎ落としていく。落としても落としてもきりがない。達成感どころか、何ともいえない徒労感だけ、という。
 佐伯は染色家の女性と再婚。工務店の返済を済ませ、ローンの支払いを続けながら、細々と生活できるようになっている。旋盤工である小関智弘と並んで、得がたい存在である。
 さて、アスベスト禍だが、まだまだこれからの問題である。18日に厚労省が無料検診の対象を拡大するというが、現在の8800人が数万人に拡大することだけは確かである。

© 2020 ゆずりは通信