久しぶりに得意の立ち読みで「大学への数学」を開いた。8月号の巻頭言が「前を向いて歩こう」。そう受験生に呼びかけるのが長坂篤英(ながさか・あつひで)。20代後半だろうか。筑波大学附属駒場高校在学中は何となく医者にでもなろうかと、大学への数学、大数ゼミの特別選抜クラス、難関物理テスト演習に取り組んでいた。しかし、浪人しても実力がつかず挫折。後期試験で東北大学理学部数学科に入学した。最初は不本意な気持ちだったが、友人や指導教官に恵まれ、それなりに真面目にやるようになり、川井数学奨励賞なるものも受賞できた。更に物理にまたがる数学分野ということで、東京大学大学院数理科学研究科に進む。ここでも周囲に恵まれて、研究分野の「結び目理論とグラフ理論の交わり」について深め、学会で発表したり、研究科長賞をもらうことにつながった。
さて、その後の進路である。いろいろと悩んだのだが、就職することに決めた。恩師の「経済的事情があるなど、そもそも負けることさえできない人がいる」という言葉が心に残っており、数学を使える仕事ということで今は、金融業界に籍を置く。その職種はクオンツ。端的に言えば、数学的理論によって将来の市場を予測し、利益を獲得すること。研究分野とは異なるものの、リスクを減らすために確立微分方程式を用いたモデル化や数値計算の高速化など興味深く、生業として面白いと思っている。大切なことは、不本意な環境に見えても、意外に捨てたもんじゃない可能性があるという確信めいたもの。背景にあるのは、大学受験の負けを周囲の環境に救われたという思い。そして、これからも不本意な現実が次々と押し寄せてくる予感の前に「前を向いて歩こう」と自分にもいい聞かせている。
ここからが老人の妄想である。数学を武器にした正業(なりわい)といいながら、数学研究を趣味ながらメインに、余裕があれば仕事も頑張ります、という。取り敢えずという選択だが、しがみついてすぐに成果をというよりはいい。想像だが、クオンツという職種には唯一の正解はなく、リスクに対する創造的な行動指針を提示し、納得してもらうことに尽きる。創造的な指針となれば、どんな着想で、どんなデータを使い、どんな理論で数式化するのか。思い出すのはラガーマンにして、バンカーであった亡き宿沢広朗である。自伝小説「 運を支配した男」にいくつものエピソードが記されているが、ラグビーという異分野での経験が金融業で生きている。クオンツもチーム作業だから、異才とのコミュニケーションが不可欠だろうと思う。彼には、やはりミスマッチにしてほしくない。
こんなケースもある。受験勝ちといえば東大理Ⅲ(医学部)。合格定員は100人足らずだが、「鉄緑会」という受験塾出身がその6割を占めるという。鉄緑会の入塾は中高一貫の有名校に限っているのでそうなるのだが、ここの塾講師210人のうち115人が東大理Ⅲ卒業生だという。つまり東大医学部を出て、塾講師という職業を選択している。一度は医者になったが、教えるのが好きということで舞い戻っているケースも。受験というスキルを究めて、受験請負職人になるということだが、才能の浪費ともいえなくもない。これもミスマッチのひとつ。
自明のことだが、大学という入り口が最終ではない。18歳程度で人生を決められてはたまらない。ミスマッチのまま生きていくのは大きな損失。30歳くらいを目途に、ゆっくり自分の適性を見極め、やり直しが可能な社会システムが作っていくしかない。大学は推薦などで入りやすくして、出口を厳しくして学生を鍛え直す方法に切り換えることだ。終身雇用も難しいのだから、新卒一括の就職試験も見直さねばならない。