おーい!ドンホセ

福島県いわき市小名浜小屋ノ内。わがドンホセの住まいである。港に面している。11日午後、襲いかかる大津波に流されているに違いないと想像している。ひとり住まいの瀟洒な平屋が波に運ばれて、手の届かない沖に持ち去られていく。それを高台の避難先で眺めているのか、それとも命より大事なギターがあるのだと逃げ遅れているのか。確かめる術はない。メールの返事を待っているが、どうすることもできない。
 数年ぶりに電話があったのは昨年12月18日午後3時ごろであった。固定電話だったので、またセールスかと思いつつ取ったのだが、馴れ馴れしいぞんざいな口ぶりだが誰だか判然としなかった。声がすっかり変わっていたのだ。糖尿病に加え、がんを発病していたのである。こんな時間にいるとは何だ、と電話に出たこちらの堕落した生活ぶりを詰問するのだからたまったものではない。ほとんどが憎まれ口で、傲岸不遜そのものながら、口調に哀愁が寄り添うように聞こえる。これが最期かもしれないぞ、という暗黙がふたりに流れる。どこにいるのか、と問うと富山大学の前という。車で5分だから寄ったらどうかに、黒田講堂でギターリサイタルを聞いてそのまま帰る。アバヨと余韻を残すことはなかった。
 憐れみ、同情を頑なに拒む。その逆も然りで、馴れ合うことも極端に嫌う。容貌もヤクザもどきのスキンヘッドのうえに、短軀である。精力果敢な時は、ビジネスホテルの予約に受付が声を上ずらせていた。ところが糖尿病のカロリー制限は、風体そのものを貧弱にさせてしまった。生涯独身と最初から思い定め、風俗及びそのテープを愛用していたがほとんど人畜無害となり、ギターを奏で、小さな庭作りに精を出す毎日と化していた。
 岩瀬という港町に生まれ、父は公務員で、母親が写真館を経営していた。ひとり息子ゆえに母親に溺愛され、進学校に進み、早稲田大学に籍をおいた。こんなエピソードも持っている。慶応も受験していたのだが、2次試験で試験会場を高校同期から間違えて教えられ、遅刻ゆえに失敗したというもの。複雑な入学でもあったのだが、早稲田キャンパスという新聞作りサークルに入り、張り切っていた。それがどういうわけか途中からギター研にのめり込んだ。すべてに感性が優先するらしい。就職先にスポニチを選んだ。7年ぐらい過ぎてから辞表を叩きつけ、帰郷した。奥宇奈月で測量などのアルバイトをしていたのが一転、懸場帳を買って売薬に転身した。飛躍のきっかけは原発現場への営業である。ある時、現場のトップと話す機会があった。それがひょんなことから、大学が同窓ということがわかって、おーとなったらしい。そして、福島、静岡、福井、柏崎など各地の原発工事現場へと売薬営業が大きく展開していったのである。いわき市に落ち着いたのもそんな縁であったと推測している。営業接待用と称して、ゴルフ会員権を3ヶ所も所有する羽振りだった。
 実は先週の東京行きに彼も誘っていた。高校同クラスの女性が主宰する邦楽コンサートがあり、いい機会だからと伝えたのだが、お前の後塵を拝したくないと断ってきた。素直でない性格である。
 両親も既になく天涯孤独ゆえに、最期はわがナラティブホームという選択もあるぞ、とパンフレットなるものを送付したのだが、こんな返事であった。
 兼好法師は、命は人を待つものかは、無常の来ることは、水火の攻むるよりも速やかに遁れがたきものと云っておりますが、だからとて、そこは我々凡人のかなしさ、まるまる棄げうつ決断など出来ようありません。さしあたり賀状書きを終えたら、今一度アリガタイ資料など眺めてみようかなと思うくらい。一方、これはビジネス・チャーンスとばかり、早速長年の友人に入居を迫る乾いた性格・・ホトホト貴男様には感心致しましたョ。
 「生きているのか、とにかく一報寄こせ」。返事は届くかどうか。

© 2020 ゆずりは通信