ウクライナ侵攻とNATO

 日本の首相が、韓豪NZと一緒にNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に招かれた。これがどんな意味を持つのか。つまりロシアなどの専制国家群を囲い込む防衛ラインとすれば、世界の警察はNATOに成り代わったということ。1902年にロシアの東アジア進出に対抗するために結んだ日英同盟が重なる。この時は日英同盟が後ろ盾となって、04年の日露戦争に駆り立てた。これを主導したのは小村寿太郎だが、1875年文部省初の海外留学生となり、ハーバード・ロースクールで学んだ明治の気概があったのだろう。今の岸田や外務省には、この急展開に、主体的に動き、考える余地などあろうはずがなく、米国の駒のように動かされ、国内向けに必死に体裁を整えているようにしか見えない。2月24日ロシアがウクライナに侵攻してから4か月余、老人にもようやく世界が見えてきた。

 ウクライナ侵攻は、アメリカの軍事・経済・政治のすべてにおいて好都合な展開となっている。自らの血は流さない、武器が売れる、NATO加盟が増えてアメリカの肩代わりをしてくれる。文字通りアメリカン・ファーストの完璧なシナリオだ。

 経過を見てみよう。米ソ冷戦の終焉は、いつの間にか民主主義の勝利、ソ連の敗北が定説となる。91年にワルシャワ条約機構が解体した後も、NATOが危機管理同盟として存続する。東欧の民主化以降、東欧自体がNATO加盟を望み、NATOに急接近していった。02年には何とロシアが準加盟国となり「NATOロシア理事会」ができている。しかし実際には決定や政策化プロセスには関われない「お客様」扱いだった。それでもNATO加盟は続き、20年の北マケドニアで30か国に達した。ウクライナも遅れてはならないと、14年親露派大統領を追い落とすマイダン革命を敢行し、NATO加盟を明確にして、米国の資金と武器援助を呼び込んでいく。この時期にバイデン副大統領がウクライナを訪問し、次男がウクライナ天然ガス会社のコンサルに就任している。米の支援を背景に東部ドンバスで親露派民兵団との内戦に踏み込み、双方で1万人近い死者を出しているが、これがプーチンのいう「非ナチ化」の根拠。これは独仏の仲介のミンスク合意で何とか収めることができた。

 この状況をプーチンはどう見ていたか。押されっ放しの現状をどこで食い止めるか。スターリンの冷酷さを思えば何のこれしきと自らを鼓舞していたのだろう。最終的に引いた線は、ウクライナ東部とクリミアを結ぶもの。いわばこれを緩衝地帯として何が何でも死守する。そんな追い込まれた図式であろうか。

 つまり、アメリカの自国最優先の国際戦略と一国社会主義の郷愁的大国願望のはざまでの代理戦争であり、目的が曖昧なまま血を流し続け、何百万人の難民を生み出している。即時停戦に向けて、動き出さねばならない。

 停戦の条件は誰にも見えてきている。ウクライナの「中立化」「非武装化」が最前提であろう。問題はアメリカが早期停戦よりも、ロシアの体力消耗を好都合と思っていること。ゼレンスキーの後見人のように振舞うアメリカの動きを止めなければならない。ここは中国、インド、ブラジルが動き、国連が国連中立軍を緩衝地帯に派遣するなど総動員で臨むべきである。

 参照/長周新聞

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