「66歳男性 はねられ重態」。10月26日の朝刊だが、年齢だけが飛び込んでくる。ひょっとして、知り合いの同期ではないか、とつい思ってしまう。そして、そんな思いが的中してしまった。え、堀江俊男だと、新湊小同期のあいつだとなった。脳裏に顔かたちが浮かんでくる。新町商店街に家があり、板金業を営んでいた。硝子戸4枚の家で、入るとすぐが仕事場だ。通りすがりに覗き見ることができ、母親の顔もすぐに思い浮かぶ。小柄だが、負けず嫌いな性格が見て取れた。その分教育熱心でもあった。小学校の習字大会では、いつも賞を取っていたように記憶しているが、母親の影響が大きかったのだろう。堀江自身だが、身長も高く、早熟で才走るところもあった。思いやりに欠けるところ、特に女の子だといって憚ることもなく、好かれるタイプではない。強いていえば、梁石日(ヤンソギル)の「血と骨」の主人公で、その体躯と凶暴性で極道からも畏れられた男・金俊平に似ている。自分では制御できない、みなぎる欲望を内に抱え、それに振り回されている。今から思えば、そんな風に見て取れた。単純で人なつこいワルではなく、いい過ぎかもしれないが、根っからのワルを感じさせた。ドストエフスキーの人物描写に似合う男だと思っている。
そんな彼だが、青春期をうまく潜り抜けられなかった。ある間違いから、板金屋を継ぐしか選択肢が残されていない状況に追い込まれることになった。母親からすれば、最も想像したくないことが現実となってしまったといっていい。それも20歳半ばであったはずである。
翌日の朝刊だが「事故で重体の男性死亡」と続報した。その後のうわさが聞こえてくる。アルコール依存症であったという。体力と世に受け入れられない鬱々したものの落差を酒が埋めていたのであろう。それもあり、先年に母親が内川で不慮の死を遂げているともいう。予期しなかった交通事故だが、本人が一番ホッとしているのではないか、とも知人はつぶやく。
身体の奥底にひそむ何かに振り回されての人生だったが、心から冥福を祈りたい。しかし繰り言になるが、別の生き方がなかったのだろうか。少なくとも、母親から離れ、新湊から遠ざかるべきではなかったのか。そう思えてならない。
さて、愚息と同じ28歳のふたつの青春が、岐路に差し掛かり、漕ぎ出した。ひとりは大学進学をせず美容師を目指した青春である。東京近郊で腕を磨き、カリスマ美容師に近い実績を挙げ、来春富山で開業する。親掛かりのところもあるが自信にあふれているように見える。来月からロンドンに短期留学をするという。
いまひとりは俳優を目指していたが、結婚して子供ができたのを機に、東京在住のまま外資系の保険会社に転じた青春である。物怖じしないファイトマンで、富山に住む公務員とか教師となった同級生にセールスをかけて、成約を得ている。セールストークもなかなか堂に入っていて、説得力もあるというのが、セールスをかけられた愚息の弁である。先日電話が入り、全国ランクのトップに近い成績になったと自信を深めている。
そんな話を聞きながら、66歳の孤独な交通事故死を思う。ちょっとした弾みで、災厄はいやおうなく降りかかってくる。希望から絶望へ、あっという間である。そんな陥穽をこの若者たちに話をしても、とても聴く耳は持ち合わせてはいないし、聴いたとしても陥穽を避けることはできやしない。老人は沈黙するしかないのだ。
と思いつつ、いつしか老人は一丁上がりで、陥穽とは無縁になったと、とんでもない錯覚をしていることに気がついた。わが想定外の陥穽とは何か。カネ、サケ、オンナ、トバク、ガン、ノーコーソク、シンキンコーソク、ニンチショウなどなど。何と小粒な陥穽に脅えていることか、亡き堀江に申し訳ない。許せよ、堀江。
そして、ここまで綴って、急に哀しみが込みあげてきた。ゆっくり眠れ、堀江よ。
ある交通事故死