グロテスク

<お詫び訂正>
前回の「グロテスク」で東電OL殺人事件被告を無罪としておりましたが、一審が無罪で、二審が無期懲役、そして11月22日最高裁で被告側上告を棄却したので無期懲役が確定しました。筆者の錯覚で、お詫びして訂正いたします。なお、ゴビンダ・オウラサド・マイナリ被告の弁護団がこの判決に異議申し立てをしています。

「人間は堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」。坂口安吾の堕落論だが、それを極め尽くしたのが、あの東電OL殺人事件。できれば、「そういえばそんな事件もあったな」と忘れてしまいたいと思っていた。ところが、天啓のように私が書かなければと思い込んだ作家がいる。桐野(きりの)夏生(なつお) 1951年生まれの女流作家。彼女は書き切った。「グロテスク」(文芸春秋刊 1905円)。

女にしか書けない、そして男にしか読めない。そんな小説である。ひたすらに荒涼とした、乾ききり、すさみきった風景が延々と続く。事件が起きたのは1997年3月8日。彼女は、薄汚れた電気もガスもないアパートで襤褸(ぼろ)切れのように絞殺された。39歳。

佐野眞一の「東電OL殺人事件」で経過だけを押さえて置こう。1973年慶応女子高校入学。76年慶應義塾大学経済学部入学。在学中に父が亡くなる。東大卒で、東電在職中であった。これが相当なショックで拒食症に。80年卒業、東京電力入社。親子2代での入社。総勢201人うち四大卒女子が9人。86年ライバルとしていた同期入社で東大卒の女子がハーバード大学に社内選抜で留学。二度目の拒食症に。88年日本リサーチ総合研究所に出向。本人はこれを格落ちと思い込む。この出向が通常2年であるのに3年に延びる。89年初めてクラブホステスに。この時32歳。ほぼこの時代から売春生活が始まる。93年経済調査室副長いわば管理職に。96年五反田のホテトル組織「魔女っ子宅配便」に属す。そして渋谷区円山町の地蔵前で立ちんぼ夜鷹に。97年自らその死を望むように逝く。犯人と目されたネパール人は無罪。

それからほぼ6年、桐野は構想を練っていたのであろう。桐野が挙げる参考文献は?「禁断の25時」酒井あゆみ ザ・マサダ?「東電OL事件」佐野眞一?「盲流」葛象賢 屈維英?「東京チャイニーズ」森田靖郎―の4冊。ここからは想像であるが、出版エージェントなるものが介在しているのではないだろうか。非難がましくいっているのはない。この種の小説はひとりでは手に負えない。複数の、それも小説なるものに精通した人間が討論をし、それを桐野が最終的に判断して仕上げたのでは、そんな思いがよぎる。またそんな手法があってもいいのでは、と思うからである。

主人公のブスな『わたし』と美貌の妹ユリコ。スイス人との混血である。ブスと美貌、貞淑と淫乱の対比。それらが同じ人間の中に同居している女の根源的な悲鳴みたいなものが聞こえてくる。そして、同級生の佐藤和恵。これこそ東電OLのモデル。名門女子高での差別、コンプレックス、いじめ。父親喪失しての家庭崩壊。しかし母親、妹との断絶がありながら、孤独の中での長女の使命。建設会社での男社会からの疎外と、その裏返しでもある同じ職場での女たちとの遠い距離。ユリコと和恵の二人が娼婦となることによって、単純ではない二つの堕落がみえてくる。最後に、堕落とは無縁の『わたし』もまた堕ちていく。殺人犯である中国から密航者チャンを登場させることで、現代中国の大きな矛盾と蛇頭組織の実態。その盲流に押し流されるちっぽけな人間たち。本来交差することのない人間が交差し、すれ違いざまに殺人が起きる。それらの素材が提示されて、イメージされて、具体的な小説を書く作業へとなっていった。そうであれば、作家・桐野に、書き切るという執念に似た情熱と並外れた忍耐力に眼を見張らざるを得ない。

引っかかるのは、堕落論ではないが、東電OLと同期で幸せな家庭を築いている彼女の弁。「女性なら誰しも堕落願望、墜落願望があるんです」。そしていまひとつ。小説の中に、50歳過ぎの富山の売薬のおっさんが、和恵の客として登場する。電話で誘うと、のこのこ出て行く。和恵の缶ビール3本の相手をして、慶応大学経済学部卒の薀蓄に耳を傾ける。誰かに似ているな、と。

ところで、出版エージェントは欧米では一般的で、日本にも存在する。早川書房から独立した村上達郎さんの「ボイルドエッグ」。これだったらできるんではないかと思ったんだがどうだろう。

これから立山に登る。堕落の引力に対抗するには、山に登るに限る。

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