忍辱

1980年を越えた頃であろうか。赤坂の居酒屋。日本の電話料金が高すぎる、電電公社の独占が原因だ、これを打ち破ろう、このままでは国際的な情報化競争に負けてしまう、そんな熱い議論が交わされていた。集まったのが京セラの稲盛和夫、セコムの飯田亮、リクルートの江副浩正、ウシオ電機の牛尾治朗などの面々。何兆円もの売り上げを誇る巨大なNTTを向こうにまわして成算はあるのか。結論は、それでも挑戦をしようとなった。こうして1984年第二電電がスタートした。そのエピソードは今に語り継がれている。これを機に国鉄系の日本テレコム、日本道路公団がトヨタと組んでの日本高速通信と、新電電3社が生まれた。そして20年過ぎて、最も不利だと思われた第二電電が日本高速通信を吸収してKDDIとなっている。何よりもあの赤坂での集まりがなければ、今日の情報化社会と呼ばれるものがどうなっていたかわからない。

経営者の講演会でこれだけの人が集まるのは珍しい。9月29日、石川県厚生年金会館の大ホール。盛和塾石川が呼びかけ、1700人が詰め掛けた。「人は何の為に生きるのか」。講師は京セラ名誉会長、KDDI最高顧問の稲盛和夫。71歳、鹿児島大学工学部応用物理学科卒。今更経営論でもあるまいと気が進まなかったが、出かけることにした。

語り口は原稿に眼を通しながらの淡々としたもの。二つの企業を創業したエネルギーはどこからきているのかと訝しく思うほどである。在家ながら得度しているからかとも思う。そういえば説話の感じである。京セラを創業したきっかけは、一心不乱にセラミックの開発をしている時に「稲盛君、君の能力では無理だ。この研究は他の技術者に担当させる。君はもうよい」との上司の言葉。地方大学を出たくらいの能力ではだめなのだというニュアンスを感じ取り、前後の見境なく、会社を辞める。昭和34年、27歳。資本金300万円、運転資金1000万円を周囲の人が用立ててくれてのスタートである。また第二電電のときは、地方の小企業如きに何ができるかという侮辱を散々味わった。国鉄総裁に頭を下げて、新幹線沿いに光ファイバーを敷設させてほしいと頼んだ時は、けんもほろろに追い返されている。これを救ったのが電電公社総裁の真藤恒。使っていない無線ルート1本を提供してくれた。

稲盛には、釈迦が悟りをひらく修行に「六波羅蜜」があり、それらを知らずに実践することで経営を乗り切ってきたという思いが強い。「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」が六波羅蜜。とりわけ「忍辱(にんにく)」であろう。辱めにあっても耐え忍んで、それをエネルギーにしてきた。「布施」は京都賞の創設。京セラの株を拠出、賞金は5000万円である。「禅定(ぜんじょう)」とは、一日に一度くらいは心を鎮めるために静かな時を過ごせということ。極め付けが因果応報の法則。善いことを思い、善いことを行え、そうすればよい結果が生まれる。この単純な法則に従えばよい、としている。そして稲盛のこうした考え方を学ぼうと、自然発生的に盛和塾ができた。国内だけにとどまらず55塾があり、3000名が参加している。

さて、企業経営の要諦とはなんぞや。稲盛教をやはり、肌にあわない。息が詰まりそうで、何よりも窮屈だ。これなら亡くなってしまったが青木雄二の「ナニワ金融道」の方が面白いような気がする。

そういいながら、わが創業も時間の問題となってきた。NPOはお前さんには似合わない。何かいいことをしている偽善者の集まりになって、パワーが出ないのではないか。利益はやはり行動喚起の源泉であり、有限会社でもいいいではないかと忠告する奴が現れた。1年は世界各地を放浪して、想を練る時間とする。1年かけて創業の準備をする。そして会社ごっこを3年持たせる。わが寿命65歳。静かに幕を引く。

この皮算用、果たしてどうか。出資希望の方、前受けしますのでどうぞ。

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