「女の言葉が鋭すぎても 直截すぎても 支離滅裂であろうとも それをまともに受けとめられない男は まったく駄目だ すべてにおいて そうなんだ」。これは茨木のり子の「王様の耳」の一説だが、大岡信が「参ったなあ、立つ瀬がないよ、茨木さん」と応じている。さる昼下がり、本屋で久方ぶりに河出書房新社のものを買うことにした。文藝別冊というシリーズで「茨木のり子」を特集し、「没後10年 言の葉のちから」と謳っている。しかし、その日の気分は、清純の方に向いていなかった。あろうことか、平積みになっている官能小説の大家・勝目梓の新刊本を手にしてしまった。茨木のり子の対極にいる作家である。
「異端者」(文藝春秋)。ブックスなかだ本店にはさりげなく椅子も準備されている。腰かけて読みだしたのだが止まらない。戦中生まれの72歳の男の回顧談だが、母子相姦、同性愛、マゾヒズムと人に言えない異端の人生がこれでもかと語り継がれていく。「不倫がとがめられ、社会的に弾圧されるのは不健全だよね。確かに不道徳ですよ、家族主義の中での約束だから。でも四角四面にいかないのが人間でしょう。今の時代、悪書もなくなっちゃって、口当たりのいい小説が多い。それは不健康だと思う。僕はあえてひんしゅくを買うことも小説の役割だと思っている。誰もやらない隙間産業を細々とやろうと思ってね」と作者はうそぶく。母子相姦も、戦時中の女性の性的な抑圧は相当なもの、もちろん母親の業は深い。しかし深いが誰も否定できないのではないか、という勝目は、32年生まれの84歳。多作も多作で書きまくっている。正統に立ち向かう作家の業というものを背負っているのだろう。
鹿児島伊集院高校を中退して、炭鉱夫として働き出してから、職を転々とした。無理がたたったのか結核で療養を余儀なくされて、作家を志す。30歳の時に文学界新人賞に応募、1次予選を通過して何かをつかんだのだろう。妻を郷里の残し、愛人と上京してトラック運転手をしながら、書き続ける。その間に中上健次と知り合うが、中上の才能に打ちのめされる。芥川賞、直木賞の候補まではなるが届かず、芽が出なかった。38歳の時、作家・森敦に出会って、自分は娯楽小説に転ずるしかないと決意する。勝目の小説は1冊だけ書架の奥まったところにある。「性的風景」(講談社)で、92年の初版だがどうして買ったのか記憶にない。この1冊でさえ置き場に困るのに、やはり買うわけにはいかない。そう思いつつ、1時間余で読み終えてしまった。心臓の鼓動が早く打っているのがわかる。古稀過ぎて勝目梓に蠢くものを触発され、何となく生気がよみがえった気分になった。何という単細胞と思いつつ、書店に申し訳ない気持ちがして、立ち読み料として、みすず書房の高価本を購入した。
そういえば宇能鴻一郎も同世代の官能派で、こちらは三島由紀夫を知って転向している。日刊ゲンダイ連載の双璧といわれる二人だが、はすに構えて書き続けるというのも、簡単ではない。費やされる能力やエネルギーは正統派の比ではないと思う。また、勝目には「一煙」という俳号をもつ俳人でもあることを申し添えておかねばならない。
官能小説にうつつを抜かしているようでは、茨木からまったく駄目な男だと烙印を押されそうだ。宇能鴻一郎と親交のある佐藤愛子が新刊「人間の煩悩」で、10回の情事よりも1回の恋というコピーがあったが、男の愚かさをズバリいい当てている。
はてさて、困った老人になりつつあるが、新潟県知事選では溜飲を下げることができた。富山県議補選富山第一選挙区でも野党統一候補を擁立し、自民、維新に対抗しているが、この流れに乗りたいものである。
勝目梓「異端者」