イリーナ・メジューエワ

「おい、悪いけど明日のコンサート来なくていいから」。そんな電話を5~6人に掛ける羽目になってしまった。もともと奇矯な行動で顰蹙を買っているのに、またかである。会場の定員250人のところに何と320枚のチケットが出てしまった。手分けをして断れるところは断ろう、ということに。何でお前さんがクラシックピアノのチケットを売るのかと一様に疑念を持たれた。まるで資格がない、といいたげでさえある。売るときのセリフが、彼女のピアノの音をとにかく聴いてみてくれ、絶対に後悔はさせない、彼女の顔を見ているだけでも価値がある、との拝み倒し戦法。それが一転して来るなである。4月23日北日本新聞ホール、午後7時の開演まで、てんやわんやであった。結局ステージの上に椅子席を設けて事なきを得た。

昨年の暮れ。新川文化ホールの1200人は入る大ホール。その一番後ろで彼女のピアノを聞いた。とにかくピアノの音がこれほどまでに力強いのか、と思わせた。そして正確な響きである。もちろん曲の何たるかはわかるはずもない。聴衆はわずかに数人。「彼女のピアノ公演をやってみようと思っている。できれば協力してもらえないか」。否応もない「やりましょう」。ここからが軽佻浮薄居士の独壇場。個人の債務保証シンジケートを組むことにしましょう。債務だけではつまらないから、完売したときには大入り袋の利益配分もあることに。チケットは保証額の1割増。50枚完売するとその1割分だから、打ち上げの飲み代程度1万5000円。大入り袋といえば「千と千尋」、東宝社員全員に10万円が配られたとか。強力シンジケート団は4人だが、最終的には2人。このゲーム感覚のあいまいさが好結果につながった。というよりプレイガイドで予想外に売れたのである。彼女の知名度からして大変だなと思っていたが全くの杞憂であった。興行成功のコツは義理買い3割、背中をちょっと押されてが3割、プレイガイドでの積極買い3割が目安。採算分岐点は8割程度に抑えておくこと。このシステムで4~5人のシンジケート団ができれば、誰にでもちょっとしたコンサートはできるということになる。

さて彼女ことイリーナ・メジューエワ。1975年旧ソ連・ゴーリキー市生まれ。モスクワのグネーシン音楽大学に学ぶ。人形のような白系ロシア美人である。97年から日本を活動の本拠地に。ここで登場するのが明比幸生君。東京外大ドイツ語科卒で、レコード会社のコロムビアへ。とにかく耳がいいらしい。音楽ディレクターとピアニストの出会い。彼は何度もロシアに出張で出かける。コロンビアの闊達な?社風が眼に見える。そして「ヘンな人」がいつしか、彼と日本で暮らすことが、あらかじめ決められていたような気がしますに変わる。彼女の趣味は歌舞伎。中村吉右衛門の追っかけを自認する。演奏哲学も、演奏家は個性を表現するものではなく閉じ込めておくもの。もし私が楽譜通りに弾くことができたら、聞いた人は「こんな個性的な演奏は聴いたことがない」というのではないでしょうか。日本の伝統の本質を日本人よりも深く理解している。そして、明比君はこの3月でコロムビアを退社してしまった。イリーナの才能に自分を賭けたようだ。イリーナは演奏の時、譜面を必ず見る。明比君は舞台上でそのサポートをする。終わって拍手を受けるときはピアノの陰に身を隠す。そんな情景を見ていたら、そういえば谷崎潤一郎の春琴抄の佐吉もそうだな、と思った。

今回特に新鮮に感じたのは調律師の諸貫氏。長年中村紘子と組んでいたが、最近喧嘩別れをしたという実力の持ち主。ところがホールの担当から1枚の注意書きを渡された。まるでピアノ貴重なる宝石を扱うようにとある。肝心のメカにも触るな、と。調律師の手足をしばるようなもの。憤慨をしたがそこはプロ。何度も何度も爪弾きながら、なにやら弦の間に赤い紙のようなものを挟んでいく。芸術というのはこんな職人で支えられている部分が多いのである。聞いてみると今週ウィーンに行くという。ベーゼンドルファー(スタンウエイと双璧のピアノメーカー)のマイスターに会うとのこと。なかなかの人物であった。

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