ペガサスクラブ

「いろんな転機があったが、調理師の分際でペガサスクラブのセミナーに参加させてもらったのが大きかった。昭和45年で25歳の時だった」と、富山・東京で料理店を展開する経営者は述懐する。チェーン化理論なんて、全くわからなかったが、これから世の中が大きく変わっていくんだというのが肌で感じ取れた。
 戦後の流通業界に最も影響力を与え、牽引してきたのがこのペガサスクラブ。渥美俊一。この男が昭和37年、会員制のチェーンストア経営研究団体としてスタートさせた。昭和元年の生まれで、東大法学部を卒業、読売新聞に入社し、「商店ページ」を担当した。その時、アメリカ市場を見て触発され、日本に流通革命運動を巻き起こそうと心に決めた。80歳の今も力強く講演している。
 最初から参加していたのがダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅敏、イオンの岡田卓也、ユニーの西川俊男らである。このメンバーを見て察しがつこうというもの。当時のイトーヨーカ堂は東京・北千住の1店舗だけであり、他も似たようなもの。高度成長の波にも乗り、すべてが急成長した。渥美の指導は容赦なく、いまにも殴りかからんばかりの熱血ぶりであった。セミナー会場は箱根で、毎月2泊3日で行われた。
 なぜ、日本の物価はアメリカの何倍も高いのか、それはあなた方日本の小売業やサービス業の人たちが努力を怠り続けたからだ。本気で日本の国民の生活を豊かにしようと考えるのなら、どうすれば本当に生活に必要なものを現在の価額の2分の1から3分の1以下で販売できるかを、アメリカのチェーンストアの『経験法則』から素直に学び、その手法を取り入れるべきだ。価格交渉において主導権をもつためには、多数の店舗を持たねばならない。店舗数と面積を増やすことが不可欠な課題。そのあと、店舗運営の精密な計数管理と厳密なマネジメントの仕組み作りだとし、不断の努力を説き聞かす。
 大雑把だが、これが渥美理論。といっても独創的なものではなく米流通業からの翻訳に過ぎないのだが、神戸灘生協や札幌市民生協、都民生協などもこの理論に与してきた。
 わが友人も、食品スーパーの経営者に「アメリカで日曜大工の店が急成長している」という日経の小さな記事を教えられ、ペガサスクラブの門を叩いた。同世代4人で立ち上げたDIYショップは、渥美理論通りの展開で瞬く間に年商100億円を超えるようになった。昭和60年前後のことである。彼らが従業員の勉強会に渥美を招いた時、同席させてもらったが余り記憶にない。
 5月27日、料理店経営者にその一代記を聞く機会があった。一代記といっているがまだ終わってはいない。もっとも大事な企業のしんがり戦(いくさ)が残っている。昨年末米アリゾナの砂漠で落ちる夕日を見て、人間にも終わりが来る時がある、そう思い知らされた。人生の残り時間との競争だとも。45年前、調理師組合の閉鎖性に風穴を開けるべき奮戦し、持ち前の才覚と度胸と、何よりも人のめぐり合わせに恵まれてここまで来た。上り調子の時は無我夢中でよいが、下り道は前後左右に目を配らなければならない。苦手であるが、逃げるわけにはいかないという。
 考えてみると、日本中の大半が下り道を歩き続けているといっていい。知り合いのコンサルタントが「真面目でよく勉強している経営者が破綻している」と指摘する。抗し難い大きなものが動いている。そんな気がする。
 ところで、極楽トンボのわが三男。横浜港からピースボードに乗り込んだ。100日間の船旅である。

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