ペシャワール会 中村哲

講演の開始時間は午後7時であるが、早目に来てほしい。そんな連絡がありながら、開始寸前に会場に入ると、なんと最上階3階の、ステージから最も遠いところの席となった。講師の都合で中止になるリスクも高く、入場料1,000円は払い戻さず、いつになるか分からないが、次回に有効ということになっていた。それでも完売を超えるチケットがさばかれていて、学生風の聴衆10人程度がステージに腰を降ろしている。田舎町で、しかもこんな硬派な講演に、有料にもかかわらずこれほど多くの人が駆けつけるとは驚きであり、わが故郷も捨てたものではないと意を強くした。
 6月17日、富山県小杉町の文化ホール。講師はペシャワール会の中村哲医師である。思った以上に小柄であり、声を張り上げることもない。46年生まれの好々爺が淡々と話を進めていく。彼のどこに、そんな思いが宿り、しかも26年も続けることができたのか、それは何なのか。2時間余りの講演の間中、そのことを思っていた。
 まずは、北九州遠賀川沿いの“川筋者”気質であろう。作家・火野葦平は母方の叔父(妹が中村の母)で、「糞尿譚」で芥川賞を受賞、その後「麦と兵隊」など三部作は大きな評判をよび、300万部を超えるベストセラーとなるなどの人気作家である。更に、著述業と共に「玉井組」二代目で、荷役労働者をまとめる義侠の徒でもあった。しかし、自らの著作が戦意高揚の片棒を担ったのではとの自責から、服毒自殺をしている。そんな血筋の影響も大きいのである。
 更に彼は、クリスチャンである。内村鑑三の「後世への最大遺物」に深い影響を受けてのものだが、それだけにとどまらず、小さい時に論語の素読もやらされて、幅広い人間の行動原理みたいなものを身につけていた。それがイスラム教をもまた尊重しなければならないという寛容さにつながっている。
 加えて、彼は精神科医である。高校から大学までは対人恐怖症に悩み、フランクルの「死と愛」「夜と霧」を読み、精神医学が魅力的な学問に見えて志したのだが、一方で北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」を読んで、閑そうな職業だったからとも云っている。もちろん現場は大違いであった。
 そして、因縁の面白さだ。彼の登山好きと昆虫好きが、登山遠征隊参加に結びつき、日本キリスト教海外医療協力会という団体からライ撲滅を目的に派遣要請があり、パキスタンのペシャワール赴任となる。不思議といえば不思議だが、こうして織り重ねられた人格が彼の地で躍動していくのである。人生はやはり生きるに足る。そう思えてくる。
 そんな彼が、医師から土木技師に変身していくのも、当然の成り行きだった。病気になる前に命が失われるとしたら、その前に救うしかない。「命の水」の確保である。ヒマラヤからの雪解け水を砂漠に引いて、緑地に変えて食糧をつくる。彼の作り出した水路で、いま60万人の命を預かっていると断言する。その長さは現在24キロに及び、その費用16億円はすべてペシャワール会でまかなわれている。国連やODAからの援助はない。こうした講演費用もすべてそこに注ぎ込まれている。
 最も印象に残ったのが、08年に銃弾で失った伊藤和也さんに言及した時である。「それ以前に現地スタッフ5人を殉職させるという犠牲を払っています。もちろん伊藤君の死は人一倍悲しい。けれども違和感を感じるのは、アフガンの死者たちは日本人にとって遠い感じだということ。日本人スタッフが危ないからすぐに全員引き揚げろ、いま帰さないと日本の世論が許しませんからって。私はそうした日本中心の考え方は嫌ですね。アフガン人の尊厳はどうなるのか。命の尊さは同じではないか」
 また彼のタリバンへの感想を聞いていると、かってベトナム戦争でベトコンといい、いまアフガンでタリバンといって、不毛の掃討戦をやっている愚かさに、はたと気がついた。
 講演の最後に、富山でのコンサートを明日に控えた加藤登紀子が来場していて、舞台にあがった。「お登紀、そこで歌え!」そして募金を呼びかけるのだ、と叫んでいたのだが、叶わなかった。
 参照/「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束」(中村哲、澤地久枝=聞き手)岩波書店

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